構え銃…打て!/お気軽に撮影を Point and Shoot

目の前で現実に起こっていることの悲惨さと、それがどうしようもなくキッチュなものとして現れている居心地の悪さ。その意味で『アクト・オブ・キリング』以来の傑作ドキュメンタリーだと思う。マーシャル・カリー監督*1、2014年。@フィラデルフィアフィルムフェスティバルにて。ドキュメンタリー部門にノミネート。

アメリカはバルチモアで生まれた、普通の(というかいわゆるナードな)若者マシュー・ヴァンダイク。自分の凡庸さにあきあきした彼は「男として特訓(crash course in manhood)」することを決意し、バイクとビデオカメラを購入し、一人アフリカへ旅立つ。チュニジアからアフリカ大陸に入り、スペインやイタリアにも渡りながら北アフリカを横断、最終的には中東に至る。行く先々で、車にはねられた、銃を購入しただ、トイレが汚いだなんだとちょっと(かなり?)危険な「異文化体験」に勤しみ、それをヘルメットにとりつけたビデオカメラで記録。おまけに後で映画にできるようかっこつけた自分のバイク姿をいちいち何テイクもセルフィー(いわゆる「自撮り」)して撮っている。行く国ごとに、アメリカに置いてきた彼女にスカイプで報告してポストカーディングを楽しむ。旅立ちの決意は、学生時代に見たハリウッド映画の古典『アラビアのロレンス』と、子供時代の憧れ、70sのオーストラリアで流行った白人によるキッチュな探検活劇。アフリカだ中東だと思いついたら大学院修士課程まで行って中東学を学んでみたりと、とにかくヨコシマで軽いくせにやることがでかい。驚きの飛躍。おまけに中学時代からことあるごとに手を洗ってしまうような潔癖性だったり、ナードすぎて高校時代には友達がいなくて戦争オンラインゲームに没頭する日々を送っていたり、彼の人生、常に何かがからまわってたりする。から回っているからこそ、「男らしく特訓」したかった。

映画は、監督による彼と彼の彼女へのインタビューで進む。2011年秋に彼の「特訓」は終わっていると後に判明するのだが、彼や彼女の自宅でカメラが回されているらしいインタビュー映像の背景には、綺麗に整頓された棚上の酒瓶(バーかと思うような数。笑)やフーカ(水タバコ)や革命本など、ヒッピーかつ消費文化的なアイテムが並ぶ。

彼の「特訓」は一度目の旅から戻ってすぐ再会される。母や彼女が最愛の人に出会えたのも束の間、彼は、2010年初めのいわゆるジャスミン革命に引き続き「アラブの春」が吹き荒れて反政府デモの最中にあるリビアに向かう。反ガダフィ政権の内乱となるいわゆる「2月17日革命」である。先の一度目の旅のなかで友人になったのは、憧れの人だった伝説のヒッピー、ノリ・フーナス(Nuri Funas)だった。彼に会い、戦争に合流するためだ。アラブの春、エジプト、チュニジア、そして次はリビアに内乱/革命が勃発するというタイミング。彼女が怒り狂っているのも当然だ。母親は、カワイイ息子を送るために車を運転してあげている。

フーナスに合流し、彼らは親友から戦友に変わる。闇市場でミサイルやマシンガンを購入して武装する。ゲリラ戦に突入する。フーナスの笑顔やジョーク、屈託のないコメントが皮肉のように響く。そして第一の事件は起こる。ヴァンダイクが拘留されるのだ。カメラは没収され拷問され、ゴキブリだらけの独房に閉じ込められる。映像が残っていないため、CG映像に切り替わり彼のモノローグは続く。天井の穴からのわずかな光と壁に刻み続けた印でなんとか日付を記憶していた。5ヶ月半後、なんとか解放されるや否や、彼は嬉しそうに革命軍に再び参加する。

フーナスらとゲリラ戦を続けながら、自分たちと戦況を撮影し続ける(そう、「自分たち」と「戦況」が彼の見ているもの)。銃とカメラ、両方を「シューティング」している。各先々では、一般市民がスマートフォンなどのモバイルを使って戦況をリアルタイムに報告する。ご承知のとおり、チュニジアから起こったアラブの春では、モバイル機器での一億総メディア状態が革命の鍵になったと言われている。グループが「最後の晩餐」(とおちゃらけて話している)を上げている。ヴァンダイクはアメリカから来てるけどアンタは報道陣なのかと問われ、「革命軍(thuwar=revolutionaries)だよ*2」と答える。彼にとって、そしてスマホで撮影をしている人々にとっては、報道のための報道という意識ではない。革命のための撮影=報道。しかしヴァンダイクには、その土地に生きてきた人々が思う「我々」のための革命のではない。彼にとっては、自身の特訓のためであり、ヒッピー的な世界全体のための革命だ。ちなみにタイトルのPoint and Shootとは、一眼レフなどでない一般向けのカメラ、いわゆる「コンパクトカメラ」のこと。「誰でも撮影者」という世界が生まれるきっかけになったカメラである。もちろん、銃を構えて(point)、撃つ(shoot)ということでもある。

第二の事件は、前者の方の「シューティング」だった。監督に人を打ったことは?と聞かれてヴァンダイクは口ごもる。ゲリラ戦で、建物内から別の建物の窓から顔を出す「敵」を射撃したときの様子が流れる。仲間たちが親切にも(苦笑)彼の初シューティングを記録してくれている。生々しい実際の映像にかぶせて、インタビューに答えるヴァンダイクの言葉。彼が打った銃弾が外れる———いきなりサウンドが完璧にカットされ、ヴァンダイクの子供時代のホームビデオの映像に切り替わるという意地の悪さ。追いつめるように、監督はわざと外したのかと確認するが、彼は、決して、わざとでは、ない、と自分を納得させるように答える。

最後のシークエンスで彼に「男らしくなる特訓」は成功したかと監督が尋ねる。ものすごく力弱く、「ええ」と答える。男らしくなく、曖昧さを残したまま…。

あ、最後の最後のシークエンスは、感動したお客さんの拍手喝采とエンドロールの後だった。ジープに乗ったフーナスが、後ろのラクダの群れと自分を、撮ってよ撮ってよ〜と無邪気に頼んでいる。しつこく、いいの撮れた?撮れた?って言ってるのが微笑ましく笑いを誘いながらも皮肉に響いていた。

Marshall Curry. Point and Shoot (2014) @Philadelphia Film Festival
http://www.pointandshootfilm.com/

*1:監督のMarshall Curryは選挙キャンペーン(Street Fight, 2005)と環境問題テロリズム(If a Tree Falls, 2011)で二度のアカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネートされている。

*2:thuwarとはフォーマルなアラビア語で革命軍revolutionariesを意味する言葉。反乱軍=rebelとも訳せるが、「アジテーションする」という意味を語源とするrebelよりは、「革命」を語源とするほうが近い肯定的な語感を持つという。http://www.thewire.com/global/2011/07/how-libyan-rebels-came-be-called-rebels-against-their-will/39738/