宝塚歌劇団『シカゴ』@ニューヨーク・リンカーンセンター

ニューヨークで宝塚歌劇を初めて観ました。非常に興味深いものでした。演目の『シカゴ』はブロードウェイで20年のロングランを誇っているもので、ご存知のとおり、宝塚歌劇団はわりと「まんまブロードウェイの翻訳」な演出で日本語でそれを演じた。ニューヨーク公演に向けた演出にするわけでもなく、日本語で演じて、そのまま日本から持ってきた。いわば、黒田清輝大回顧展をルーブル美術館で開催するような姿勢で挑みました。

結果はある意味で、惨敗。エンタメとしては及第点だったと思います。しかしそこはミュージカルの本拠地ニューヨーク。*1新聞各紙の批評では、「なんでこれここでやる意味あるのか意味不明」みたいな辛口でやられていました。確かに自分も、ニューヨークでもう一度観ようとは思いません。それなら何ブロックか下ってChicagoを観ます。

でももうちょっと優しく見れば、まあ普通の超ド級エンタメの『シカゴ』でしたし、それほどけなすほどのクオリティとも思えませんでした。個人的には、エンターテインメントの技術面の追求にそれほど価値を見出さないので余計。さらに今回の公演は、伝説となっている往年の宝塚OGたちが登場し*2、ファンたちは「やっと会えた!」と歓喜の声を上げて彼らを迎えるような特別公演で*3、その「過去のベスト盤」みたいな舞台の演目に、『シカゴ』という「主人公たちが、愛も金も家族もモラルもかなぐり捨てて、舞台上のスターとしての自己顕示欲に魅了される世界(=All That Jazz!)」を当てたことは、見ていても演者と配役がどうしてもダブって見えるし、演者もそう感じながら演じているだろうと感じました。このディレクションは、非常に優れたアイデアだと思います。

また、やはり欧州の古典的な世界観の翻案を中心として演じてきた宝塚が*4アメリカにおける「古典」として選んだのが『シカゴ』であるところも非常に納得出来ました。古き良き(儚き)夢のアメリカは1920sのショービズにありますね。

と、演目自体はよかったと思います。しかし。日本での公演をご覧になっていた方はよくご存知かと思いますが、最後に「レヴュー(Revue)*5」をやるというのが宝塚歌劇団のしきたりで、伝統をきっちり守っていました*6。このレヴューへの観客や演劇批評の反応が散々で、おそらく半々くらいだったかなと思われる、「日本からのズカファン」と「現地の演劇一般の観客」の反応が鮮明に分かれていました。みんなの反応は、もう目の前で何が起こったのかよくわからない感じで、せっかくいい感じで演目が終わっていたのに、なんだこれは…。どうしたらいいのか戸惑っている様子。数分ごとに曲が矢継ぎ早に代わり、ここでは日本語の歌の字幕も現れず、サンバ、メレンゲなどの多ジャンルを跨いだ古めかしい曲に乗せたダンスが披露され、何度も何度もフィナーレ風に演奏が終わるがひたすら続く。他方、「ネイティヴ」のファンは、演目のときの歓声をはるかに凌ぐボリュームで、往年のスターたちの登場を迎え続ける30分間。フランク・シナトラは唯一多くの人がわかる曲のようだったが、本篇では生演奏だった楽器隊もいなくなり、ぐっと音質が下がったことも手伝って、周囲の人たち(年間パスを買っていそうな、身なりの良い白人たちがメイン)は、途中から拍手も止めたり、帰ってった人さえいました。

この後半の「レヴュー」パートは、もちろんネイティヴファンへのサービスだと思いますが*7、演劇の演出としてはどう考えても蛇足で、最初か幕間に入れるという方法もあったと思います。が、そうはしなかった。この順序・この構成という宝塚の伝統を守る意味があったのでしょう。

これは、どっちがよかったのかなあと今でも考えています。つまり、この現場では全然評価されなかったが(これからもされないようには思いますが)あえて迎合せずに伝統をそのままの形で輸出したことで、良くも悪くも「宝塚」を見てもらえたという部分があって、それはそれでよかったのかなと思っています。文化交流としては。たとえば、J-POPやビジュアル系がめちゃくちゃ日本固有のドメスティックなものだった*8、がゆえに、翻って欧州のインディーロックに影響を与えているとか、そういう意味です。

実はこの意味では、今回の公演に対する辛い批評は、全然的を射ていないなあと思います。下のNew York Timesの批評は「ニューキャッスルに石炭を売る」とい英語のフレーズになぞらえて*9「ツナサンドを寿司屋に持って行って」もダメだろう、という書き出しですが、その点では、全然ポイント掴めてないです。
http://www.nytimes.com/2016/07/22/theater/review-in-takarazukas-chicago-the-midwest-looks-a-lot-like-japan.html

宝塚歌劇のような、近代化と植民主義の過程で花開いた欧州賛美の文化が、現代日本でいまだに(強固に)残存し、他方では、女性だけが淑女教育学校システムの中で「男性は男性らしく、女性は女性らしく」というスーパー保守的なジェンダー規範を再強化する文化として残っていて、それがある種のポピュラリティーを保ってもいる*10。そういった文化が、後期近代にアメリカが「西洋」の中心地となったのちに、ニューヨークという「本場」に逆輸入されていること、そのこと自体のグロテスクさ・狂気(の凄さ)を考察して欲しかった。ツナサンドが寿司屋に戻って「ライスバーガー」みたいなものが普及している文化こそが*11アメリカなんですけどねえ。宝塚歌劇団は、そうした文化的・社会的背景のコンテクストありきの文明批評としてみるのが一番面白いとも思えてしまいました。(それはハイコンテキストな現代美術を見て楽しむときの悦楽と、とても似ています。)

そうそう、ファン同士のつながり感もすごくて、日本の演劇シーンではほとんど見たことのない、その場でしりあって友達になっている感じのグループがすごくいました。ニューヨークへの旅行者同士という事情もあるのかな。でも、アメリカだと、わりとすぐそういう初対面で盛り上がって友達になってるような風景を見ますが、日本の文化にしては珍しいなあと思っていました。日本のコンサート会場にいると聞く、リーダー格の人たちは見つかりませんでしたが、さすがにここまではグループツアーなどは催されなかったのかな。

*1:しかもリンカーンセンターってまさにブロードウェイ沿い!

*2:なかにはブラジルで富豪と結婚して引退している方もいる。http://ameblo.jp/saki-asaji/

*3:実際、本気で泣いている人たちがたくさんおられて、噂に聞く宝塚のスター性を目の当たりにしました。

*4:例えば宝塚歌劇で日本に普及させた『エリザベート』は、オーストリアの古典で、ハプスブルク家・帝国の没落を象徴として描く人間ドラマの改変版。

*5:フランス語で古いスタイルの歌と踊りのショー。宝塚歌劇が、戦後に立て直された時にTakarazuka Revueと英訳されたそうです。

*6:ショートバージョンにして「特別に持ってきました」と紹介されていましたが。

*7:各回キャストが変わるが、ここでは全キャストが出てきてお披露目します。

*8:そしてその「元ネタ」は欧米の音楽・カルチャーの翻案です。

*9:意味がない愚かなことをしている例え。石炭取れる地方に石炭売るな、と。

*10:まあ相補するジャニーズ文化ほどではありませんが、大衆文化と言えるほどの人気はありますよね。

*11:ラーメンバーガーなるものもあります。http://www.ramenburger.com/