あいちトリエンナーレ2019の記録集にラーニング企画の美術評論を書きました

昨年行われたあいちトリエンナーレ2019の記録集に評論を寄せました。

pdf版でも公開中です。

追記:残念ながら紙媒体は部数がとても少ないそうです。増刷を検討中とのことで、ご希望の方は事務局までメールで熱望を伝えると良いかもです。電凸はしないでください(笑)。

 

小森真樹 「美術館の近代を〈遊び〉で逆なでする――あいちトリエンナーレ・ラーニングプログラム『アート・プレイグラウンド』」 
『あいちトリエンナーレ2019 ラーニング記録集』(2020年、pp.41-48)

 

DLできます:https://aichitriennale.jp/archive/item/at2019_learning.pdf

あいちトリエンナーレその他の報告書はこちら 

 

あいトリは複数の部門で展開しましたが、本書は「ラーニング」部門ーー舞台や音楽、展覧会企画と並行して行われた美術教育プログラムーーの記録集です。拙稿では、実施された「アート・プレイグラウンド」の企画について、ミュージアム研究、文化人類学、美術史等の観点から解説をしています。

 

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「主体的な学び(ラーニング)」というフレーズを一度は皆さん聞いたことがあると思いますが、それくらいに日本でもラーニング教育は普及しています。欧米の美術界に牽引されながら、美術館において実験的な美術教育を行うことは日本でも普及してきました。今回のあいトリでも、ラーニングのキュレーターの会田大也さんの企画、アーティストの日比野克彦さんと建築家の遠藤幹子さんのリード、そして各所のコーディネータとスタッフたちの協働作業によって、まさにこの種の実験的で「作品」と呼ぶべき教育企画が行われました。しかし、こうした胎動する現場に比べ、美術の言論では教育活動をうまく評するものが少ないと感じてきました。そこで今回、美術批評とミュージアムの現場との橋渡しができればと思って論を寄せました。教育をテーマにした実験的な試みがアートシーンに増えたことは「教育的転回」などとも呼ばれますが、こうした立場から、キュレーションや美術作品と同じように、教育プログラムにももっと創造性があると評価できるのではないかという投げかけでもあります。 

 


2019年のあいちトリエンナーレでは、不幸にも、「表現の自由」が失われつつある芸術をめぐる現在の状況を象徴するような事件が起こり、そこに議論が集中してしまったきらいがあります。しかし、現場では表現の自由を守ろうとする人々の動きがありました。展示を見ることもしない人々がウェブ上で「炎上」させ続けた「表現の不自由展・その後」のすぐ隣りでは、アート・プレイグラウンドで子供たちが「交流」し、思想信条を超えて来館者同士が深い「対話」を交わしていました。ここでは、未来と社会の「公共性」が育まれていたと感じています。

この様子が克明に記録された報告書の「TALK 受け手ノート」には勇気をもらいました。本件で主に焦点が当たってきたのは、炎上の火種となった右翼の活動や、芸術監督の津田大介さん、抑圧したり援助する政治家たち、文化庁とその背後にいる日本政府、そしてもちろん、アーティストのボイコットやカウンター的活動です。本書が描くのは、「現場のスタッフと来場者」というもう一つの顔です。

 

今回の取材の中では、キュレーターの会田さんにインタビューさせていただいたことで大きな刺激を受けました。また別の機会には、会田さんの他の作品とも併せて考えてみたいと思っています。

 
 

 

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コーディネーターの野田智子さん(Nadegata Instant Party)が頑張って編集してくれた報告書がクールなので紙媒体もぜひ

 

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おまけ:あいちトリエンナーレや表現の不自由展についての参考図書