アメリカ学会 シンポジウム「表現の自由と不自由のあいだ」のお手伝いをしました

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アメリカ学会の年次大会のシンポジウムのお手伝いをしました。

元々はあいちトリエンナーレ2019での「表現の不自由展・その後」の中止事件を機に企画されたものでしたが、「表現の自由」について、アカデミックな領域かつ幅広いアプローチからあらためて考えようという趣旨のもと、各分野の一線で活躍する研究者の議論がさまざまに交差し、非常に刺激的なセッションとなりました。

今後も書籍など別の形でも展開しつつ、引き続きこの問題について考えようと思います。本会は学会員限定でしたので以下に要旨を貼っておきます。

 

ところで、今年の学会はオンラインでの開催でした(去年は中止)。あまり行く機会のない他大学のキャンパスに足を運ぶのも学会の楽しみの一つですが、今回はそれもなく残念。天気が良くなったら三田へ散歩にでもいこうかな。

 

シンポジウム「表現の自由と不自由のあいだ」

司会:小林剛(関西大学)・小森真樹(武蔵大学

報告:

横大道聡(慶応義塾大学)「アメリカにおける表現の自由の現在」

梅﨑透(フェリス女学院大学)「「自由」と「憎悪」のあいだで――言論の自由をめぐる1960年代以降の政治文化」

加治屋健司(東京大学)「表現と芸術のあいだ――アメリカにおける「芸術の自由」」

大和田俊之(慶応義塾大学)「ペアレンタル・アドバイザリー――アメリカの音楽と検閲」

吉本光宏(早稲田大学)「映画、あるいは表現という不自由」

http://www.jaas.gr.jp/meeting.html

 

趣旨文

 コロナ禍という世界的な災厄を前にして、私たちは「自由」と「不自由」の狭間で苦悶している。ソーシャル・ディスタンシングという正当な呼びかけに応じる必要性を十分感じながらも、それによって「集会の自由」が不当に制限されるのではないかと危惧し、同時に表現の場が閉ざされることによる「不自由」がもたらす閉塞感を日々憂慮している。2020年にアメリカ全土で拡大した「ブラック・ライヴズ・マター」運動はまさにそうしたジレンマのなかで行われた表現活動であった。しかしながら、コロナ禍がこうした状況を生み出す以前から、世界中で「表現の自由」という基本的人権の基盤は揺らいでいたと言っていいだろう。日本においては、2019年8月に愛知県の国際芸術祭で起こった抗議デモや脅迫による企画展の展示中止とそれに続く文化庁補助金不交付問題が記憶に新しいところであるし、同年9月に世間を騒がせたのは、代表的出版社が発行している週刊誌上に堂々と掲載されたヘイト・スピーチまがいの特集記事であった。では、こうした「ヘイト」がきわめて容易にメディアを通して拡散する時代に、私たちは表現の自由と規制のあいだにどのように論理的な線引きを行うことができるのだろうか。私たちの主たる研究対象地域であるアメリカ合衆国では、憲法修正第1条において「連邦議会は、言論または出版の自由を制限する法律、ならびに国民が平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請願する権利を制限する法律を制定してはならない」と明確に定めている一方で、本来ならあらゆる個人を守るためのその条文が、ますます深刻さを増す分断の時代に、社会的弱者を不当に攻撃するヘイト・スピーチをも「表現の自由」のもと規制すべきではないと論理づけるために用いられている。一般的に、ナチスの記憶を常に意識しているヨーロッパにおいてはヘイト・スピーチを罰則付きで規制する法律が多くの民主主義国家にあるのに対して、アメリカと日本は同様の規制法を持たず(注:2019年12月、川崎市で全国初の罰則付き規制条例が制定された)、いわゆる「ポリティカル・コレクトネス」や自主規制で代替してきた数少ない先進国とされている。しかしながら、それは「表現の自由」が両国で十全に保証されているということを意味しているわけではなく、逆に歴史的に見ると、様々な過去の差別やタブーや検閲によって文化的に「表現の不自由」が社会のなかに緻密に構造化されているとも言えるだろう。2019年に香港で起こった逃亡犯条例改正案をめぐる大規模な抗議デモは、私たちがいかにそうした「不自由」を無自覚的に受け入れてしまっているのか、鮮明に思い出させてくれる出来事でもあった。香港にとっての中国がそうであるように、日本にとってのアメリカはかつて検閲する主体であったが、そうした構造はもう本当に存在していないのだろうか。第二次世界大戦後の政治状況が、人種や性など主体的な自己理解に基づく「表現の自由」を求める市民の運動を後押ししたとするならば、それは私たちにどれほどの力を与えてくれたのだろうか。また逆に、公的資金や社会制度を通した検閲や自主規制は、いつから、どのようにしてその自由を弱めてきたのだろうか。

 本シンポジウムでは、こうした問いに美術、音楽、映画、社会運動、あるいは美術史、文化研究、文学、表象文化論歴史学憲法学といった多様な切り口から迫ることによって、歴史的に複雑に絡まってしまった「表現の自由と不自由」をめぐる諸問題の解決に向けた糸口を見出したいと考えている。

 

1. 横大道聡(慶応義塾大学)「アメリカにおける表現の自由の現在」

アメリカにおける表現の自由論は、連邦最高裁判所判例の積み重ねによって構築されてきたものである。表現の自由が争点となる事件は、判例が創り上げてきた「法理」のもとで処理されるため、表現を規制する側は、それらの法理を踏まえながら、違憲と判断される事態を避けることができるような新たな「規制」方法を模索する。裁判所は、法理の射程の限定、修正や拡張、新たな法理の案出などを行って事案を処理し、それがさらなる判例法理を産み出していく。こうしたダイナミズムの過程を把握することによって、「アメリカにおける表現の自由論の現在」が見えてくる。近時のロバーツ長官率いるロバーツコートは、私人の表現の自由を厚く保障しつつも、公権力が提供したり管理したりする場所においてそれがなされる場合には、管理権を優先させるという顕著な特徴があると指摘されるが、まず本報告では、この点についての「法理」の状況を明らかにし、「表現の自由の現在」を確認することにしたい。また、従来の表現の自由論は、憲法が国家権力を規律する規範であることを反映して、私人による表現規制については射程外としてきた。しかし現在、GAFAをはじめとした企業が提供するサービスの場における管理――トランプ前大統領のツイッターアカウント永久凍結など――が表現の自由に対する影響は、国家による表現規制に比肩するほど強力になっている。そのため、表現の自由の実質的保障のために、国家の積極的な介入が必要ではないかとする議論も見られるようになっている。本報告では、この問題に関する議論状況についても言及し、別の角度から見た「アメリカにおける表現の自由の現在」も確認することにしたい。

 

2. 梅﨑透(フェリス女学院大学)「『自由』と『憎悪』のあいだで――言論の自由をめぐる1960年代以降の政治文化」

合衆国憲法修正第1条は、表現の自由とならんで、アメリカ市民が平和裡に集会する権利ならびに苦痛に対する救済を政府に求める権利を定める。1965年の連邦最高裁判決Cox v. Louisianaでは、この修正第1条にのっとって、人種隔離に対する平穏な抗議行動を制限する権限は、暴力を誘発する可能性があったとしても、州政府にはないことが確認された。さらに1969年の、Shuttlesworth v. City of Birmingham判決は、市の許可を得ないデモ行進を市が禁止する命令を違憲とした。このように、市民の表現の自由と抗議行動の権利は、歴史的に、分かちがたく定義されてきた。2020年は、新型コロナウィルス感染症の蔓延のなかで、政治行為としての表現の自由がふたたび問われた年だった。州のシャットダウン命令に対し、市民は各地で「再開(Reopen)」を訴えた。そして5月25日、ジョージ・フロイドが警察暴力によって窒息死させられた事件をきっかけに、2013年から続くブラック・ライヴズ・マター(BLM)運動が、さまざまな表現形態を伴って全米規模で活性化した。いずれもアメリカ社会が認める表現の自由のもとに「正当な」政治行為として展開され、そのまま大統領選へと持ち込まれた。本報告では、2020年の市民運動を起点に、アメリカ社会における政治行為としての表現の自由を考える。修正第1条は、市民と政治権力との関係において規定される。しかし、実際には運動のベクトルが他の市民集団に向かうことがあり、それも表現の自由として正当化される。こうしたねじれはなぜ生じるのか、ヘイト・スピーチとフリー・スピーチの境界はどこにあるのか。1960年代以来の運動をめぐるアメリカの政治文化に位置づけ、問題提起する。

 

3. 加治屋健司(東京大学)「表現と芸術のあいだ――アメリカにおける『芸術の自由』」

本発表は、アメリカにおける芸術の自由に関する議論を、美術史的な観点から考察する。アメリカ美術史において、芸術の自由は、必ずしも表現の自由と同じ論理に基づいて主張されたわけではなかった。とりわけ、モダニズムの登場とともに、芸術を内面の表出としての表現とみなす考え方が下火となるに連れて、その違いは明確になった。そして、芸術の自由は、冷戦下において、政治的に抑圧されると同時に利用されもした。本発表は、20世紀半ば以降のアメリカにおいて、芸術の自由という考えがいかに形成されて、争点がどのように推移したのかを歴史的に考察する。1947年の国務省の美術コレクションからなる「前進するアメリカ美術」展の中止、マッカーシズムの時代におけるアルフレッド・バー・ジュニアによるモダン・アート擁護、1954年のアメリカ芸術連盟による「芸術の自由に関する声明」、文化冷戦における役割とその帰結、1980年代末から90年代初頭にかけての芸術に対する公的助成に関する一連の事件を論じたうえで、2017年のホイットニー・バイエニアルでのダナ・シュッツ《開いた棺》の展示、2017年のウォーカー・アート・センターでのサム・デュラント《足場=絞首台》の撤去、2019年のサンフランシスコのジョージ・ワシントン高校の壁画の撤去騒動など、近年の事例において、従来の検閲とは異なる制限の問題が生じていることを指摘する。本発表を通して、アメリカ美術史においていかに芸術の自由が表現の自由とは異なる問題として議論されてきたかを明らかにする。

 

4. 大和田俊之(慶応義塾大学)「ペアレンタル・アドバイザリー――アメリカの音楽と検閲」

二人の娘が聴くプリンスやヴァン・ヘイレンの歌詞の卑猥さに驚いたティッパー・ゴア――上院議員アル・ゴアの妻である――などによって1985年に設立されたPMRC(Parents Music Resource Center)は、当初アメリカの音楽産業が映画協会のように自発的にレイティング・システムを導入するよう提案した。上院通商科学運輸委員会での公聴会フランク・ザッパジョン・デンバーなどのロック・ミュージシャンが出席する事態に発展した論争は、「ペアレンタル・アドバイザリー」と書かれたステッカーを問題の作品に貼付することで一応の解決をみたが、それが初めて適用されたアルバムがヒップホップグループの2ライブ・クルー「Banned in the U.S.A.」(1990)であったことに象徴されるように、ポピュラー音楽を対象とする表現規制運動は1990年代初頭に急速に「人種化」される。それはギャングスタ・ラップに代表されるヒップホップミュージックがメインストリームへと台頭する時期と重なっており、その暴力的かつ女性蔑視的なリリックが激しい批判に晒されたのだ。一方、女性ミュージシャン、ケイティ・ペリーの着物(和服)のステージ衣装が非難されたように、昨今、マジョリティーによるマイノリティー文化の借用が「文化の盗用」としてタブー視されるようになった。では、体制による(マイノリティーの)表現規制と、マイノリティーの地位向上のための「文化の盗用」の議論はどのように交差し、すれ違うのだろうか。アメリカのポピュラー音楽の歴史を紐解きながら、マジョリティーとマイノリティーのそれぞれに利する表現の規制/自粛の問題を総合的に捉えたい。

 

5. 吉本光宏(早稲田大学)「映画、あるいは表現という不自由」

ハリウッド映画は国家のイデオロギー装置なのか。広い意味での政治的機能の観点から両者の関係性を考えることは可能だが、技術や形式に固有の特性から生じる不可避の制約がハリウッド映画を国家のイデオロギー装置化してきたと言うことは難しい。なぜなら、決定的論的な条件が内在的に常に・既に表現を制約しているのであれば、外部からの直接・間接的な検閲や圧力が表現の自由に及ぼす影響は、表層的なレベルに留まることを意味するからだ。ハリウッド映画という制度に内在的な限界が生み出す表現の不自由は、資本主義とより緊密に連関しており、文化産業という概念はいまだに有効性を失ってはいない。文化産業としてのハリウッド映画は、表現の自由と不自由という単純な二項対立には収まらない。言うまでもなく、ハリウッドは巨大な資本を動かす産業であり、ハリウッド映画はこの産業が生み出す商品である。一人のクリエイターが個人の思想を表現するわけでもなければ、撮影所という法人がその着想を表現として具現化するわけでもない。そもそも「ハリウッド映画の表現主体」という表現自体が撞着語法であるとも言える。仮にタブーを破り論争を引き起こすことで見えない壁を可視化するというのが、表現の自由がもたらす効果のひとつであるとするならば、そもそもハリウッド映画という商品に表現の自由など存在しないと言うのは言い過ぎだろうか。しかし、文化産業としてのハリウッドの限界は、同時にその可能性でもある。資本の論理や制度的束縛は乗り越えることの出来ない壁である一方、ある種の自由を保障する枠組みとしても機能する。なぜ表現は不自由なのか。具体的に今なにが表現の不自由を生み出しているのか。どのようにこの不自由の構造を、商品という形態から逸脱することなく表象するのか。表現の不自由を受け入れた上で、その構造を内在的に可視化しようとする試みは、ハリウッド映画をアレゴリー化する。国家のイデオロギー装置としてのハリウッドという解釈もひとつのアレゴリーであるが、問題はそれがアレゴリーにしか過ぎないということではなく、アレゴリーとしての精度が低いということである。ハリウッド映画というアレゴリーは、自身に内在する矛盾を止揚することはできない。外在的な要因で矛盾が消滅した時、それはハリウッドの終焉を意味する。この点において、ハリウッド映画は「特殊な」例であり、日本や他国の映画と単純に比較することはできない。