山本唯人さんのサイト「東京都平和記念館アーカイヴズ」や、「フォーラムとしてのミュージアム」論に関して、山本さんとメールで対話する中で考えた。
以下のエントリーで書いた日本型「公共」に合わせた議論や研究の営みはどのような形か?という問いにもゆるくつながる。
フォーラムとしてのミュージアム論をいま読むこと
ダンカン・キャメロンの論考「ミュージアム:神殿か対話の場か」は1971年に書かれた。もし対話の場を作ることをミュージアムの目的とするならば、それに限れば、方法は別にミュージアムではなく「展覧会」や「ウェブサイト」でも良いのではないだろうか。
フォーラム論はミュージアム研究の「古典」として現在に至るミュージアムのあり方の一翼を基礎づけるものだが、その論旨は、対比される「神殿型(temple)」からの脱却である。これを参照した活動や議論では、フォーラムが「ミュージアム」であるべき理由がどこにあるのかという点がもっと意識されなくてはいけないように思う。
ICOM「ミュージアム定義をめぐる摩擦問題」
この「ミュージアム定義をめぐる摩擦問題」は、基本的には、ポスト植民地主義的な南北問題やポスト冷戦状況を背景にしており、「定義」策定という一見ニュートラルな態度であるにもかかわらず、国連機関がある種の規範として加盟国におしつけるものが、実は古典的な「西洋モデル」だという反発である。
ただ反発している方も参加国のリベラル派であってイデオロギー的な異論は少ないと思うが、雑な手続きで「理念」を「定義」というパッケージに包むあたりの偽善・欺瞞への反発があるだろう。(もちろん、これでは「うちの国の官僚たちが思う「ミュージアム」じゃないので予算が降りなくなる!」と、実害を訴える批判もある。)
適切にデモクラシーが機能する「場」はどこ?
デモクラシーが割と機能している(ように見える)西欧や北米などの地域・国々ではフォーラムは「ミュージアム」を使って然るべきだが、或る国ではその形式でなくても良いし、むしろ広場やカフェやパブ、寺社や教会といった、ミュージアムや図書館でその公共性を代替しようとする前の「場」や、あるいは、ウェブサイトやSNSといった「場」でも良いのかもしれない。
メディアを単一の形式で理解しようとすることもまた、実態の把握を貧困化する。((最近出た『ポストメディア・セオリーズ』ミネルヴァ書房、2021なんかが参考になる。))なんの方法を取るのであれ、複数が連携・代替すること(=マルチメディア、トランスメディア)をベースにして考えた方がいいのだろう。デジタルが普及しきった「ポストデジタル」な社会ではなおさらそうだ。
「東京都平和祈念館アーカイブズ」は、議論をオンライン⇄オンサイトで開いていく基盤やネットワークとして、またアーカイヴとしても機能したが、このようにある目的に応じて場=メディアを設計すると良いのだろう。展開した経緯を企画者の山本さんに伺ったところ、そのあたりは「記念館の計画」「美術館」「美術作家」と複数の主体がいる連携事業だったこともあって、意識的に進められていたようだ。
メタファーで生まれる「ミュージアム」である必然性
ここ数年ほど気になっている「ミュージアム」という言葉についても考えた。この語の持つ「場所」のイメージが「ネットワーキング」と「求心力」を持つことを考えれば、いろいろな活動に対して「ミュージアム」という言葉を乱暴に名づけることも、もっとポジティブに受け取ってもいいのかなと感じはじめている。
例えばVirtual Multimodal Museumはデジタル化と資源活用をウェブベースで考える組織だが、このように「ミュージアム」をメタファーに組織化している例がある。
直島に移住した現代美術作家下道基行くんが「瀬戸内「 」資料館」の活動をしているが(「 」に毎度テーマが代入できるようになっている)、”島の資料館”は周辺住民にとって相当に公共的なイメージを持つだろう。