2022年3月16日に見た「現在」:猪熊弦一郎現代美術館「丸亀での現在」展とコミュニケーションが堆積する〈島〉

www.mimoca.org

 

丸亀の猪熊弦一郎現代美術館の「丸亀での現在」展を訪れた。2020年開催予定だった企画が、コロナ禍により一年の延期を経て日の目を見た。そのテーマが「現在」であると同時に「変化」であることが、チラシにデザインされたタイトル案の変遷に垣間見える。参加作家は、KOSUGE1-16(以下、KOSUGE)、Nadegata Instant Party(ナデガタ)、旅するリサーチ・ラボラトリー(旅ラボ)という3組のアート・コレクティブ。同世代かつ近しいフィールドで活躍してきた人々で結成された、3つのコレクティブが選ばれている(KOSUGEは現在土谷享のソロプロジェクト)。

 

「すでに関係が深い」「グループ」が「集められた」という点で、面白いキュレーションになっていた。人が集うこと、集められること、人間が関係をつくり深めることーーこれらを「できない」と強く意識する状況の下、「集まりかた・関係のしかた」の現状とポテンシャルについて考える。そのような企画として見た。

f:id:phoiming:20220320191531j:plain

 

 

ナデガタによる《ホームステイホーム》は、丸亀市内で一般公募からホストを募り、各都市にいる面識のない人とグループをつくって、zoomでつないで「ステイホーム」状態の「ホームステイ」を実施するものである。そのときの記録映像(主に食事風景となっている。「食卓を共にする」のがホスト=ゲスト関係の象徴だ)や、ミュージアムで行ったイベントや、展示物として仮構された〈ホーム〉など(展示室内に設置された足場に上がり俯瞰して見ると、椅子が「HOME STAY HOME」を描いている)、それらが総じてひとつの作品である(さらに、最終日3月21日にはクロージングパーティが実施されることが発表された)。このプロジェクトは、コロナ禍に人々や都市のあいだで起こっていたコミュニケーションの縮図・映し絵である。

 

f:id:phoiming:20220320192018j:image

 

それと同時に、2022年3月16日の「今」見ると、そこで提示されているコミュニケーションの感覚は、今のわれわれとかけ離れたものになっていると感じる点も多い——たとえば、政府が発出する「緊急事態」を人々がどのように受け止めているのか、メディアとグローバルな世論と人々の想像力がウクライナの戦場や「敵」としてのプーチンに向いている状況、この日の深夜には3.11を思わせる東北地方での大きな地震が再び起こったこと、など。目を凝らせば、「ズレ」ているのである。

 

このズレによって、作品は「変化」を感じさせるものにもなっていた。図らずも*1、目くるめく日々でたやすく揺れ動いている「現在」についても描き出すことになっていた。その「儚さとズレ」もまた、「現在」の一つの実像だと言うことはしっくりくる。

 

少なくとも、現在の僕はこうした感覚で日々を過ごしている。いましがた、読者が住んでいる地域も立場も全く考慮せず乱暴に「われわれ」と書いてしまったが、パンデミック以後のコミュニケーションにおいては、「われわれ」の定義はまた一つ複雑なものになり、一層そのことを考慮することも求められているように感じている。時間の経過は人によって異なる、それぞれに様々な「現在」が共存している、このような状況をも表す作品でもある。

 

ミュージアムという現場でつくった企画を「口実」にナデガタが生み出そうとするのは*2、一時的、断続的、部分的で「いいかげん」なつながりである。ある意味では無責任で良い部分を残している、半分くらい公的なつながり。こうしたセミパブリックなつながりのために、(あまりパブリックでもなさそうに見える日本の)美術館をひらく*3。この日本の「公」によりそった批評性にナデガタの魅力がある。人と人とのつながりかたを再考すべきコロナ禍の「現在」、改めて「美術館と公共性」という観点から本作を見直す意義は高まっていよう。

 

f:id:phoiming:20220320192237j:image

 

 

KOSUGE1−16は、代表作《どんどこ!巨大紙相撲》で知られている。等身大の紙相撲という明快な企画は、全国「巡業」をし、相撲の聖地墨田区では力士をの呼出を本職がおこない、懸賞品を日本相撲協会に提供してもらったというから、現実への食い込み具合がすごい。そのサッカーゲーム版とも言える《AC-21》も各地のワークショップで人気だが(バーをぐるぐる回すサッカーボードゲームのあれである)、これまた巨大なものをみんなでワイワイやっていることで、お祭り感が出る。ここには「異化作用」があり、巨大化することはその一つの手法だ。勝どきの路面に設置されたパブリックアート《2mのペットボトル》でも、普通とは異なる大きさの物体に驚かされる。また、KOSUGEはあいちトリエンナーレでは2009年から《長者町プロジェクト》で山車を設計してきたが、そこではフェルトなどのやわらかい素材であったり、動力が自転車であったりして「異化」ーー山車「なのに」××だーーが引き起こされている。

 

今回の展示《カウンタ フォイル・リサーチーーヘッドライトに照らされたクリーチャーたちー》は、展示室の暗がりに大型絵画が吊るされていて、軽トラ型の建造物のそばに寄ると、突然ヘッドライトが点灯し、照らされた絵画に描かれた小動物に光が当てられ、動力で動物(絵画)が上下する。ギアの音もけっこう大きく驚かされる。

 

f:id:phoiming:20220320192301j:image


おそらくここで問われているのは、「絵画」自体ではなく、「絵画を見る」行為である。絵画を見ることを期待する観客に向けた異化作用である。会場は画家・猪熊弦一郎の美術館であり、美術館「なのに」、美術展の壁に絵がかかっている「のに」、絵を見るのではなさそうだぞ、という異化作用である。そうそう、僕の場合は、石巻市牡鹿半島で夜車を飛ばしていたとき、暗がりから驚いて飛び出してくる鹿にぶつけそうになったことがあって、そのときのことを思い出したのだが(そちらは鹿たちが逃げていくよりも、道の真ん中で「固まる」ので怖いのだが)、丸亀の夜道で小動物に出くわすのはけっこう共感できる、よくある経験なのだろうか。

 

作家自身の言葉で、「作品を見るための方法は、鑑賞者が自ら考えなくてはならない」と述べている。本作品におけるKOSUGEのねらいは、鑑賞という方法の当たり前、ものの「見方」を変化させるという点にあるようである。

 


旅するリサーチ・ラボラトリーが今回の作品《ふたつの島》でとったアプローチは、他の2つのコレクティブについて「回顧」と「比較研究」をおこなうというものだ。

 

「回顧」というのは、具体的にいえば2組に関する資料の展示である。資料のアーカイブを展示ケースに置き、コレクティブおよび個人のタイムラインを壁面に展示する形で、各コレクティブに関する「歴史」を可視化した。この展示は、来館者がそこに置かれた情報を使うためというよりは*4、「時間の経過」を目で見て視覚的に意識させる点にあると感じた。いわゆる学術的な歴史展示(美術史等も含む)との違いもここにある。

 

コロナ以前の企画された、丸亀と韓国のふたつの島を比較するという計画がお蔵入りになったという。その経緯もあり、〈島〉を、ふたつのコレクティブに擬えているようにも見える。過去のコレクティブの展示に関連する数々の物品(デッサン、チラシ、写真、イベントパスやユニフォームTシャツ…)が解説文もなく雑然とぎゅうぎゅうに展示ケースへと押し込まれており、ふたつの「島」には2組の歴史の地層が堆積している。

 

f:id:phoiming:20220320192510j:image

 

「比較研究」は、二つのコレクティブについての考察である。旅ラボのメンバー下道元行とmamoruが会期の数日前から4日間連続で実施した対談「映像フィールドノート」の動画が展示され、それは旅ラボのウェブサイトでも公開されている。こちらは今回の旅ラボの企画についての「回顧」のようにもなっている。

 

旅ラボが「ラボ」たる所以とも思えるのは、自分たちだけが研究の主体となるよりは、場を設定するというポジションを取る点である。たとえば、編者となり『調査報告』を作成しているが、大学紀要・学術雑誌のような装丁で編まれた『調査報告 ふたつの島 KOSUGE1-16 × Nadegata Instant Partyに関する比較論考』(第1号、2021年、旅するリサーチ・ラボラトリー刊)は、いわゆる学術論文から批評までを含む。第2号『関連年表』は、旅ラボを含む3組のメンバーが各自で近年までのプロフィールを書いたもの(文体や長短に個性が垣間見える)。第3号『映像フィールドノート・台本』は、先の動画で収録されたものの台本である(台本の制作は対談の事前か事後かはわからない)。現在までに、旅ラボのサイトでは第1号のみが公開されている。

 

 

「丸亀での現在」展全体の構成もKOSUGE→ナデガタ→旅ラボの順となっていて、2つの展示室で見てきた作品を、コレクティブの全体像に位置づけたり、旅ラボによる考察と関連づけて考えさせる動線となっている。

 

旅ラボの作品は、展示内で他の展示に言及するというメタ的なものである*5。その構造上、どうしても時間について考えさせるものとなる。

 

2組のコレクティブに近いところで観察=リサーチを続けてきた旅ラボのメンバーが作成したタイムラインと、それに下道が手書きで書き込んだ注釈を眺めていると、あるコミュニティが歴史がつむぐプロセスを目の当たりにしたようだった。無数の展覧会や共同制作を経て、アトリエや飲み屋や喫茶店で交わされた会話、メールやツイッターSkypeやZoomでのやり取りから、これまで、また、この展覧会での作品は生まれているはずである。歴史はその堆積全体である。

 

f:id:phoiming:20220320192950j:image

 

その一方で「歴史」とは、ある時点から過去を振り返り、言葉ですくい取り書かれるものでもある。書かれる前の時間には膨大な現実が流れていた。歴史は常に「回顧」である。過去をすくい取り歴史を書く人々のあいだには「関係」があり、彼らは「集まり」「コミュニケーション」をしてきた。歴史とは、あるコミュニティのなかにいる人々によって書かれる。コミュニケーションのなかで堆積され、書かれる。「回顧」のなかには関係の地層があるーー〈島〉について思いを巡らせた。

 

すでに深い「関係」を持っている参加作家らが「集め」られーーメンバーによる有名無名多数の別コレクティブ/コラボレーションも存在するようにーー、過去の経験について歴史化していく。展覧会に結実するそのプロセスには、歴史が書かれる背景にある協働性と共同性、すなわち、一朝一夕には作れない「コミュニティ」とそれを支える「コミュニケーション」の強度を感じさせられる。展覧会は人が集まるためのメディアであり、ミュージアムはその場である。

 

人が集うことが「できない」という意識は、関係をつくることができないことと容易に結びつけられがちだけど、ナデガタがやってみせたようにそれは「やり方」次第であり、KOSUGEが示したように「見方」次第でもある。そして、旅ラボが浮かび上がらせたように、「過去」と「現在」は、培われてきた関係性に支えられてつながっているものだ。

 

旅ラボにとって、ナデガタにとって、KOSUGEにとっての「丸亀の現在」とはどのようなものだろうか。展示はほどなく会期終了を迎えるが、いま一度彼らの思う「儚さとズレ」について知りたくもなった。今後も美術館ではまた別のコミュニケーションが生まれ、また別の「現在」が書かれ/つくられていくことだろう。そのとき、このパンデミックの時間はいかなる跡を残すのだろうか。

 

f:id:phoiming:20220320194026j:plain

自分にとって懐かしい時期のナデガタ作品



*1:旅ラボの下道基行が展示内の対談で触れているように、強く意図されたものではないようである

*2:今回旅ラボが編んだ「報告書」掲載論文のなかで新川貴詩氏が指摘するように、その方法が生まれた背景には、現代美術の作家に展示に対する謝金を出す慣例がなかった公立美術館において、ワークショップを実施し「講師謝礼」という形で資金提供をしはじめたという事情がある。日本の公共(文化)事業や公立美術館の歴史において、アーティストと学芸員によって「ワークショップ」というメディアがハッキングされたのだ。 新川貴詩「コスゲとナデガタ、その共通点と相違点」 『ふたつの島 KOSUGE1-16 × Nadegata Instant Partyに関する比較論考』(第1号、2021年、旅するリサーチ・ラボラトリー刊)https://www.travelingresearchlaboratory.com/archive/18676/

*3:「美術館をひらく」で想起したのは、筆者も参加した2009年の練馬区美術館で行われたワークショップ「一日で野外市民劇をつくる “Closing Museum,Opening Party"」と上演された市民劇『とじて 、ひらいて、その手を上に』公演である(こちらは美術館を「とじた」のであるが)。https://tohru51.exblog.jp/13896565/ 中崎透が拠点とする水戸市にある水戸芸術館は、「公共性」という観点からミュージアムのあり方を考え実践している国内を代表するミュージアムである。2019年には、まさに「アートセンターをひらく」という主題で二期の展覧会が実施された。https://www.arttowermito.or.jp/gallery/lineup/article_5050.html

*4:実際、公刊された書籍をのぞき、チラシ等はページをめくることはできず、表紙を見るために置かれていた。展示された下道・mamoruの対談も長尺ですべてを展示室で聴くことは現実的ではない(旅ラボのウェブサイト「Archive」の箇所で視聴することができる)。展示は「見せる」ためのものである。

*5:下道・mamoruの対談では、「ふたつの島」が現在のかたちへと収斂した変遷についても触れられている。https://www.travelingresearchlaboratory.com/archive/18809/