ギフトショップと展示が一体化した初の国立美術展では?「美術でない展」としてはナイストライ:佐藤可士和展@国立新美術館

所属している文化資源学会で加島卓さんが講演される。この機会に佐藤可士和展を訪れたときに書いた文章を振り返り、改稿版を公開する。

 

デザイナーの巨匠、佐藤可士和の個展。セブンイレブンから楽天まで、2000年代以降の日本社会の景色を彩った人物。また、ユニクロをはじめとして「日本/ニッポン」を代表するデザイナーとして国外から認知されていよう(少なくとも作品のイメージのレベルでは)。会場である国立新美術館は、三十年ぶりの新たな「国立美術館」として2006年に開館したが、そのロゴも佐藤の手によるもので同館とも縁がある。

(なお、GWまでの予定だったが、緊急事態宣言のゴタゴタで予定より数週間早く4/24に終わってしまった。)

www.youtube.com

f:id:phoiming:20210717200120j:plain

f:id:phoiming:20210717200139j:plain

美術館は「美術」だけのものではない。デザイン、ファッション、音楽、映画……と多彩なジャンルの芸術が展示されるようになって久しい。「日本/現代/デザイナー」とそれぞれを代表するに相応しい佐藤の個展は、作家性を全面に押し出したタイプの「美術でない展覧会」であった。

美術館とは研究機関でもある。佐藤は、レトロスペクティヴ展によって「アーティスト=作家」としての仕事を検証する研究対象としては申し分ないだろう。

しかし、その成果を公開する展覧会の見せ方は物足りないものだった。クロノロジーを基本として、制作テーマと発注企業(クライアント)のジャンルの組み合わせから、緩やかにセクション分けされた展示構成は、主に佐藤が過去に発表してきたコンセプトをなぞるものだ。キャプション及び音声ガイドでは、佐藤本人の「声」で作品の意味が語られる。そこで語られるのは制作エピソードや当時の自分の心象などで、作品を振り返って考察するような言説はあまり語られず、ましてやその舞台となった社会制度や背景について批評的な視座は向けられない。展覧会自体が、巨大な企業広告の総体であるような印象を受ける。

バンクシーが自作に冠して揶揄した「お帰りはお土産屋を通ってから(“Exit Through The Giftshop”)」のフレーズよろしく、展覧会オリジナルのユニクロTシャツの「展示」が、この展覧会を締めくくる最後の展示室である。この部屋の「キャプション」はイコール「値札」である。整然と並んだ「インスタレーション」の中から、躊躇しつつ「パッケージ」を手にした。「触れないでください(Don’t Touch)」という展覧会の禁止事項を、ハンズオンで展示物を開いていくユニバーサルミュージアムとは別の形で、概念崩壊させている。日本史上、国立美術館で初めて、商品を売る場所・行為が展覧会のメインコンテンツと限りなく近づいた例ではないか。(明治期の陳列館などは除く)

(なお、筆者はウォーホルUTを購入したことをここに白状したい。)

f:id:phoiming:20210717195609j:plain

一般にいって「美術でない」ものを扱う展覧会は、「中心と周縁」という文化芸術の序列構造に対する批評性が低い場合には、単に美術館が芸術としてのお墨付きを与えるという結果になるケースが多い。展覧会が扱う、「でない」ジャンルの特性を批評する視座があると意義深いものになる。この展覧会の批評性の薄さは、端的に言って佐藤がインサイダーであるからであり、企業の声を代理で彩る立役者であるところの広告業において、現役で(大)活躍する作家を扱う際の限界が見える。

カタログの編集における人選を見るに、担当学芸員の企画力は非常に高いと感じる。限られた紙面に論者を二人だけ選ぶ際に、デザインを社会学的に研究する加島卓氏、そして「美術でないもの」を「美術」として“アイコニックにデザイン“した村上隆氏を取り上げている。

 

追記1:

産業としての「デザイン」というのは、未だ十分な効率化や良いサービスが行き届いてないところを、視覚や聴覚など芸術・技術的な方法によって更新するというものであろう。そして各デザイナーによって強調点が異なるのだと思うが、佐藤可士和氏は自身の方法論を「クリエイティビティあふれる整理術としてのデザイン」や「ICONIC BRANDING(=企業や製品のエッセンスを一目で感じられるもの)*1」と説明している。

この意味で、この展覧会が「美術展」をうまく彼流に「デザイン」したものかといえば、それほど成功していない。「一目で『佐藤可士和』を整理したもの」にはなっていないし、展覧会メディアの可能性を更新したとも思えない。今後この方法を別の対象に応用したからといって、斬新な展覧会が企画されるようなものではないだろう。

展覧会内では、日清製粉の「安藤百福記念館、カップラーメンミュージアム」を佐藤がディレクションした仕事が紹介されていたが、これまでにも「展示」をデザインした経験が十分にある。今回は、それ同様に国立新美術館が外部のデザイナーとしての佐藤に発注をして、美術展概念を更新させるという仕事をしてもらうという役割をはっきりして演じるというのが、最も適切な落とし所だったのではないか。自作の「全集」を編むにはどうしても主観が邪魔してしまう。一度「習作」として、他の展覧会のデザインを佐藤にコミッションするという機会が先にあってもよかったのかもしれない。

 

追記2:

加島卓「佐藤可士和論」読了。憑依するかのごとく彼自身の言葉を引用しながら、足跡をたどりながら佐藤の仕事へと肉薄する。今回のキュレーションにはこの論考のような作り方もあったのではないか。丁寧に「文脈を復元」しながら見せていくやり方。言い換えれば、歴史博物館的な(ないし王道の美術史的)展示とする構成のしかたもあったのではないかと思う。

佐藤自身、今回の展覧会は「自己紹介的な展示」にしようと思うあまり、クライアントにいつも釘を刺している「幕の内弁当」と同様なものになったと反省をしている(村上との対談 p.305)。これはおそらく、「展覧会」概念の「常識を覆して」「アイコニックに見せる」という佐藤が思い描く「理想(あるいは定式)」と、デザイナーの主たる舞台ではない美術館に飛び込んで初の個展を開くという「現実」の間で、うまくバランスを取ることができなかったためではないだろうか。もし佐藤がいつもの革新性を諦めて、その対極である、文脈とともに仕事を解体して見せるという堅実な方向へと向かう勇気があれば、展覧会はもっと面白くなっただろう。加島論文からは、こうした展覧会ナラティヴのモデルも想像することができた。

旧友である村上隆と、展覧会やミュージアムについて語っている箇所も興味深い。キュレーターがいないと展示に要素を詰め込みすぎてしまうのだと言いつつ村上は、同種の課題を佐藤の展覧会に指摘しつつ、今後も続けていくことで気負いを無くし、「海外にいる未来のビッグクライアントのプレゼンテーション」として欲しいと期待を口にしている。「カップヌードルミュージアムのエントランス部分のような、可士和さんの魅力であるスケール感」「外国人が「What the hell!」と口にしてしまうような展示」を見たいと佐藤に伝えている。「日本のアンバサダー」として、「海外から訪れる人たちに対して日本の奥深さをプレゼンテーションする場になるべき」である美術館でそれらを伝えることができると言うことを、強い期待を持って説明しているあたりからは、ステレオタイプを戦略的に操作しながらも、国民国家的な「日本」という因習的な枠組みには(敢えて)疑いの目が向かないような制作をしてきた村上の態度が、悪い意味でも伝わりそうで懸念を感じる(つまり、社会デザインという現代アートなんかよりよっぽど日本国内で影響力を持つ方法で、ニホンスゴイ的なものを力強く助長する)。独立した佐藤の社名はSAMURAIであることも思い出される。

UNIQLO PARKやふじようちえんとカップヌードルミュージアムを同じ人物が企画しているというのは、とても興味深い。近年のミュージアムの理念であり実装され始めているのは、社会における「公共性の母体」の役割を果たすことである。すなわち、広場や公園が持つべき共同体の基盤としての機能であり、初等教育機関に期待されるユニヴァーサルな創造性を各人から引き出す機能だ。佐藤の仕事がミュージアムという場を結節点としてこれらを線で結ぶことがあれば、この理想が実現することもあり得るかもしれない。美術館自体をデザインすることについて、「とても興味があ」り、「シンプルであるながら強烈なインパクトのあるもの」を作りたいと佐藤は述べている。少し強引に好意的に見れば、こうした可能性も感じることもできる。

*1:このネーミングやアルファベット表記自体がICONIC BRANDINGの例のようで面白い。