コロナ禍ここまでの活動を振り返る:(ほぼ)2020-2021年度

日本国内の「コロナ禍」がはじまってだいたい2年くらいだ。パンデミックの強い影響下で社会を生きはじめてからそれくらい。ほぼ、2020年度から2021年度にあたる。ちょっと振り返ってみたい。

 

 

環境と意識の持ちようの変化

自身の研究活動は直接間接にアメリカでのフィールドワークが占める割合が高いので、コロナ禍ではまず「現地に行けない」という点が影を落とした。とくに、「いつ行けるかわからない」というのがとてもやりにくいのだ。例えば、むこう三年間だけ渡航が一切ができません、と言われれば比較的長期間でも計画の見通しが立つ。しかし、どこまで待てばいいかわからない。これはやりにくい。「待ち」の状態になっているのでこのままでは良くないと感じたのが2020年の春か初夏あたりだったか。調査や刺激の受け取り方を意識して変えないとと思った。これはインプットの方。

 

その一方、コロナ禍に自分はどのような貢献ができるのかということも考えた。とくに〈コロナ禍〉を記録しなくては、という意識が強く働いた。開いた状態において、なるべくコミュニケーションが生まれるようにしたいとも思った。こちらはアウトプット。

これは2011年の東日本大震災直後のことを思い出した。当時はまだ大学院生で、何かやれる能力や条件にも限りがあり、そのこと自体を意識しすぎて、”くびき”のようにそれを自分にかけてしまい、何か行動したり形にすることがうまくできなかったなと、どこか後悔のような感覚が残っている。実際には色々やってはきたのだけれど、もう少し、何事も〈かたち〉にするクセをつけたいと思ってきた。

かたちはコミュニケーションを生む。考えを内側に抱きかかえていると留まったままだ。公の状態にして社会に置く作業を繰り返さない限り、人々との交流は生まれない。流れが滞る。考えも泡のように流れていってしまう。2017年初頭にアメリカから帰国したとき、必要に迫られて色々なところに出ていくことになった。この時、そのことを実感してもいた。

目まぐるしく動く事象を記録して反応も得られるようにしたい。狭い意味での学術研究だけでなく別のチャンネルが必要だと思った。もう少し早いスパンだったり、制約が緩かったり、異なるオーディエンスに届く方法。結果的には、自分にとって新しい領域で色々と試すことにもなった。列挙してみると:

 

・学術論文ではない媒体。ウェブで読めるもの。

・硬質な論文調でなく批評的な文体。あるいは「オモシロ」的な文体。

・これまで中心にしてきた、展示やミュージアム、あるいは社会論ではなく、作品論よりのもの。

・展覧会の制作。

・編集。雑誌・マガジン的な分野をかき混ぜたもの。

・デジタルについての研究、デジタルでの制作 

・「喋り」を意識すること

 

コロナ禍の「目の前」に気持ちも身体も引っ張られ、コロナ禍突入直前から進んでいた学術書の企画は、どうしても遅れがちになってしまっている(すみません)。こちらにもやはり、「コロナ後に読まれること」を意識したものにしたいと考えている。

 

進めたプロジェクト

2020年3月。お世話になっていたフィールドワーカーのウェブマガジンFENICSからちょうど短い記事依頼をいただいた。コロナ禍の記録をしたい、記録しなくてはいけないと思う素材がありすぎるという旨を伝えたところ、連載としてはじめてもいいと言っていただいた。メルマガ形式にそぐわぬ長文の寄稿もなんども許していただき大変に感謝している。この「コロナ禍のフィールドワーク」というテーマでの6回分の連載の経験から、時事的な社会課題の題材を軽妙な語り口で伝えることは、今でこそやる意義があるのではないかと思うようになった。届くべき読者を考える機会にも。ありがとうございました。

コロナ禍のフィールドワークとアメリカのカーデモ(前) - コロナ禍のフィールドワーク(連載)」『FENICS』 2020/04/25 

コロナ禍のフィールドワークとアメリカのカーデモ(後) - コロナ禍のフィールドワーク(連載)」『FENICS』 2020/05/25 

東京・代々木「ブラック・ライブズ・マター・トーキョー」デモのエスノグラフィー:ネットで軽やかにフィールドをつなぐこと、「見えない」ものに目を凝らすこと - コロナ禍のフィールドワーク(連載)」『FENICS』 2020/06/25 

ハッシュタグをハックする:K-POPファンのブラック・ライブズ・マター運動 - コロナ禍のフィールドワーク(連載)」『FENICS』 2020/07/25

正義の荒らし?――警察アプリとTikTokをめぐるK-POPファンの平和攻撃 - コロナ禍のフィールドワーク(連載)」『FENICS』 2020/08/25 

パブリックヒストリーが開く虐殺の歴史――オクラホマ州タルサをトランプ集会とHBOドラマ「ウォッチメン」で見る」『FENICS』 2020/09/25 

 

まともに追悼文を書いたことはなかったし、自分がそうするとも思っていなかったけど、思わず書いた文章。コロナ禍の記録を意識し、また、日本語で情報があまり残らず”忘れ去られる”歴史になるという想像がついたので、なんとか公共的な場所で公開しておきたいと思って尽力した。社会論から離れて、作品の評価が浮き出てくるような記述を心がけた。多分社会論としても展開したら面白い。主題が立ってきたらどこかでそれも。

追悼アダム・シュレンシンジャー:「アメリカ郊外」を笑いに変えるインディーポップマエストロ(前編)」『新型コロナウイルスと音楽産業JASPM緊急調査プロジェクト2020』日本ポピュラー音楽学会、2021年1月12日。

「追悼アダム・シュレンシンジャー:「アメリカ郊外」を笑いに変えるインディーポップマエストロ(後編)」『新型コロナウイルスと音楽産業JASPM緊急調査プロジェクト2020』日本ポピュラー音楽学会(近刊)

「笑い、郊外、インディーポップーーアダム・シュレンシンジャーがコロナ禍に遺したプロデュースの魔法」『新型コロナウイルスと音楽産業JASPM緊急調査プロジェクト2020(仮題)』日本ポピュラー音楽学会(近刊)

以下のエントリーが元になった。

 

トランプ政権発足の前後から調査してきたネットミームの言論兵器化について、非常に面白く切り込んだドキュメンタリー映画が公開されたので、その機会に風呂敷を広げるような論考にまとめた。スッキリ爽快感のある解説にはしなかったが、その方がよかったかなと今では思っている。公刊すべきと感じたら、編集部に依頼してみるというのも新しい経験だった。

なぜオルタナ右翼はマンガのカエルを「神」として担ぎ上げたのか?:「カエルのぺぺ右翼化事件」を考える講談社現代ビジネス、2021年4月22日

 

FENICSの連載を終えて数ヶ月ほどした頃、ウェブマガジンのWezzyで再び連載の機会をいただいた。大変ありがたい。社会問題を柔らかく伝えていきたいという主旨で書き手を探されているとのことで、ここいらの自分が考えていたことと合致して驚いた。自分が書籍用に温めて座礁気味だったテーマについて相談したところ、編集の方と意気投合して実現。素材は時事的に探りつつ執筆した。社会課題を考える「入り口」としてエンターテイメントを位置づけられないかと考えて、作品論と社会論の間をいくようなものを目指した。ひとまず第一期を終えて休載中。このあたりまでの一連の評論を書籍にまとめる予定だ。

「アウトサイド」からアメリカを映す――『ノマドランド』のイエ・シゴト・タビ」wezzy 2021年6月5日

コンクリートジャングルのカウボーイとカウガール 白く塗られた黒人馬乗りの歴史を「修正」する」wezzy 2021年7月3日

お化けと差別に背筋が凍る ドラマ『ゼム』が描く住まい・契約・トラウマの人種主義」wezzy、2021年8月6日

『ユダ&ブラック・メシア』とH.E.R.〈Fight For You〉――映画を深める二つのミュージックビデオを読む」wezzy、2021年9月18日

投票の前には「まだ見ぬアメリカの夢」を観る――選挙と〈アメリカン・ユートピア〉」wezzy、2021年10月29日

 

学術研究の仕事についてはこれまでどうにも方向性が定まってこなかったが、進めたい主題も、とにかく数をこなしながら収斂しそうな予感もある。研究だと、長期間こだわって深く調査すべき対象や主題を選ぶべきで、このあたりの具体的なイメージが少しだけ見え始めてきた。「本」のイメージ。海外での調査自体はほとんどできなかったので、渡航できるようになる前に、このあたりで定めておきたいところ。

 

・論争の不/健全性、メディアと場の果たす機能について。

・歴史の語りにおけるバイアスと書き直し(修正・更新)、その手段について。

イデオロギーと文化の関係について、「文化戦争」にかわるモデル

・言論と公共性を整える/壊すツールとしての博物館。

ヒエラルキーと博物館:芸術と娯楽

 

デジタル・ミュージアム・研究――デジタル時代のミュージアムとモノと場所 」『立教アメリカン・スタディーズ』立教大学アメリカ研究所、40号、2018年3月、57-89。

遺体が芸術になるとき――医学博物館が拡張する「芸術」と医学教育の倫理」『民族藝術学会誌 Arts/』民族藝術学会、vol.37、2021年3月31日、126−139。

コロナ禍で変容する「展示の現場」ーー第四のミュージアムのデジタル化」『博物館研究』vol.56 no.9 (no.640)、2021年9月、19-23。

「女性史美術館へようこそーー展示という語りと語りなおし」『人文学のレッスン』小森謙一郎、戸塚学、北村紗衣共編著、水声社、2022年。以下でサンプルを配布しています↓

phoiming.hatenadiary.org

 

自分にとってタイムリーに立ち上がっていたパブリックヒストリー研究会にも、少しずつ参加させてもらっている。一度発表する機会もいただいた。参加される先生方の多くとは異なりいわゆるプロパーな「ヒストリアン」でないので大丈夫かなと思いながら参加しているが、様々なアプローチから言葉を交わしている場面には刺激をもらっている。東日本大震災の展示やアートについて最近調査を始めたが、同じようなテーマを本格的に研究されてきた方も多く、直接間接にアイデアをいただいている。

「災害の記憶――美術館・博物館・モニュメント」「パブリックヒストリーの現在と未来 第一部 拓かれる様々な可能性」パブリックヒストリー研究会二周年記念研究大会、2021年3月29日

 

同会も含めて、知り合いづてではない形でご依頼をいただけることがちょこちょこ増えたのは、とても嬉しい。純粋に発表した文章や活動だけで興味をもっていただけるというのは、とても励みになる。担当編集者の方から言われた、個人ブログなど相当ニッチなところでも見てる人は見てますよという言葉を、時折思い出すようにしてる。自分向けのメモや文章で満足してしまうタイプだが、勇気をもって発表するというのは大切だ。書評依頼をいただき中村寛さんと松尾眞さんの人類学者・写真家旅コラボ本のことを知ったが、あまりに自分の関心と重なっていて驚いた。編集者の方にどうやって評者として選んで下さったのか問い合わせてしまったほど。盛り込む内容、本の内容・その背景・評者の解釈、学術と創作物、などなど文章のバランスとしてもうまく書けた。

「コロナ禍で変容する「展示の現場」ーー第四のミュージアムのデジタル化」『博物館研究』vol.56 no.9 (no.640)、2021年9月、19-23。

「ふたりでアメリカを〈何でも見てやろう〉ーー「書かない」人類学的実践の現在地 中村寛・松尾眞『アメリカの〈周縁〉をあるく』」『図書新聞』3531号、2022年2月19日。

phoiming.hatenadiary.org

今年6月にも、立教大学史学会2022シンポジウム「世界史における「学知」の政治的ダイナミズム」に読んでいただいた。

 

関心はあってもこれまで全然関係してこなかった研究分野での仕事もいくつかあって、異なる分野の人たちの感覚を知ることができたり、勉強してこなかった分野の古典なんかを一気に勉強する機会にもなって、とても刺激になっている。マンガ研究、ポピュラー音楽研究など。コンテンツとして好きな対象に関する卓越した知見を知ることは素直に楽しい。その分野の「常識」もなく”寄せてもらって”コラボレーションするのは、割と厚顔だよなあとは思うのだけど。

「マンガは熱くないうちに蒐めろ――ミュージアムにおけるマンガ研究」『京都精華大学紀要』第54号、京都精華大学(近刊)

追悼アダム・シュレンシンジャー:「アメリカ郊外」を笑いに変えるインディーポップマエストロ(前編)」『新型コロナウイルスと音楽産業JASPM緊急調査プロジェクト2020』日本ポピュラー音楽学会、2021年1月12日。

「追悼アダム・シュレンシンジャー:「アメリカ郊外」を笑いに変えるインディーポップマエストロ(後編)」『新型コロナウイルスと音楽産業JASPM緊急調査プロジェクト2020』日本ポピュラー音楽学会(近刊)

「笑い、郊外、インディーポップーーアダム・シュレンシンジャーがコロナ禍に遺したプロデュースの魔法」『新型コロナウイルスと音楽産業JASPM緊急調査プロジェクト2020(仮題)』日本ポピュラー音楽学会(近刊)

 

高校生や一般向けの公開授業の機会も結構増えた。オーディエンスの性格を踏まえて、内容や伝え方・喋り方をどう変えていくと効果的なのか色々と考える機会になった。話す「目的」を考える機会にも。

「語りの空間、ミュージアム アメリカ合衆国を「ミュージアム研究」で見る」夢ナビ講義

「美術史に「女性」をとりもどす アートと美術館のアクションから学ぶジェンダーと歴史」NPO法人The F-Word 2021年6月21日

「コロナ禍におこる社会運動の〈かたち〉」武蔵大学公開講座、2021年10月30日 

 

コロナ禍でのYouTubeでのトーク番組やPodcastの充実振り、アカデミックなウェビナーの増加と長距離参加の容易さから、今まで以上に音声メディアで情報を得るようになった。同時期にオンライン授業も始まり、オンデマンドや配信などの方法を、いろいろと試すことにもなった。話し手の振る舞いによって情報の伝わり方が違うのだということを、今まで以上に実感するようになった。そのことで、多方面に「喋り」を意識する活動を試している感覚がある。

授業では、ラジオメディアを模して展開する授業形式を試しているところ。その一つが、「書く」行為を批判的に考える人類学「書かない人類学」の授業で、内容とも重なって受講生には好評だった。

トーク番組やラジオ番組では、きっちり尺が決まり、過不足なく内容を抑えながら喋るというのはかなり大変なのだと実感。打ち合わせ=台本の良し悪し。

「移動中の語り」をテーマにしたリサーチプロジェクトDialogue/Research/Tripを始めたのも、この辺の関心に基づいたもの。中村・松尾本もまさにこの「旅をしながら一緒に考える」というもので、立ち上げ直後だったので驚くと共に触発された。D/R/Tは、「喋り」による創発に重点を置いた感じ。「書かない人類学」は授業を機会に概念化したものだが、まさに同書はその一例にも見えたし、D/R/Tもその一例として論じてみるのも面白い。

授業「書かない人類学」(立教大学社会学部「文化人類学」講義 2019-2021年度)

『あいちトリエンナーレ2019ラーニング記録集』重版出来!記念トークイベント配信!2020.07.29

FM宝塚「Afternoon View」出演 2021年12月14日 藤生恭子(パーソナリティ)

「ふたりでアメリカを〈何でも見てやろう〉ーー「書かない」人類学的実践の現在地 中村寛・松尾眞『アメリカの〈周縁〉をあるく』」『図書新聞』3531号、2022年2月19日。

リサーチとアートのプロジェクト「Dialogue/Research/Trip」ディレクター 2021年7月〜。

 

展示制作の現場にも関わってきた。参与観察から実践を学術的な水準で考える。少しづつその道筋もつけられてきたことはとても嬉しい。とかく炎上的になりがちなーー「論争」ではなく、「ゴシップ」や「イデオロギーの文化戦争」としてーー消費されがちな対象をなるべく大きな文脈で見られるようにしたいと考えているので、こちらは焦らずゆっくり進めたい。付随的に、人々はどこまで高度な教育を受けても、表層で捉えて無責任な理解をするのだと改めて確認できたのも大きな学びだった。メディア=媒介する暴力性への懸念と、資料的制約のなかで参与観察の果たす役割の重要性が結びついた。

シンポジウム「表現の自由と不自由のあいだ」企画・司会 アメリカ学会  2021年6月5日

 

「表現の不自由展・東京」実行委員。2020年4月〜。

 

制作関連では、ウェブマガジンの編集も始めた。研究会のメンバーの活動に引っ張られて「かたち」になってきた。アートと人類学を主軸に、混ぜこぜで不定形なマガジンを目指す〈-oidオイド〉は、今年 3月に立ち上げ。お見知り置きください。取り急ぎの立ち上げになったので、今後もゆっくり整えたい。

ウェブマガジン『-oid』企画・編集 2021年4月〜。

 

もうひとつは、アーティストや研究者の複数で旅をしながら言葉をつむぐ、それを調査や制作のゆりかごにするリサーチプロジェクト〈Dialogue/Research/Trip〉。コロナ禍が緩んだ時期を見計らって、「東日本大震災の表現と記憶」についての調査を緩やかに半年ほど続けている。こちらは公にしていないので早く「かたち」にしたい。コミュニケーションがとても重要になってくるプロジェクトなので余計に。

リサーチとアートのプロジェクト「Dialogue/Research/Trip」ディレクター 2021年7月〜。

 

教育の方だけど、デジタル展示の制作もはじめてやってみた。ゼミ運営で、研究型とワークショップ型を受講者に選んでもらったところ、学生主導で実現した。コロナ禍のミュージアムの活動に関する調査をもとに、ピクトグラムの展示をプログラミング言語で実施。同時期にはICCのヴァーチャル初台など本格的なミュージアムの取り組みも素早く実現していたが、こうしたICT「展示」の活動を少し引いた視座で相対化できたように感じている。

小森ゼミ「武蔵大学ヴァーチャルミュージアム(VMMU)」プロジェクト/企画展「コロナとミュージアムピクトグラムと」2020年11月3日(火)10:00~11月17日(火)23:59

 

この点、現代アートとかメディアアートとか大型ミュージアムの展示モデリングとか、優秀かつ特殊な事例だけに限らず広く見るのが大切だと思っていて、学祭やゲーム、ヴァーチャル渋谷からメトロポリタン美術館コレクション@あつ森まで包括的に見ることで、「デジタル+展示」という行為をただの新たなツールとして終わらせないようにできないだろうかと考えている。『展示学』の論考は、展示の専門家に読んでもらえる媒体なのでそういう趣旨から「ヴァーチャル/デジタル・ミュージアム」総ざらいを目指した。デジタル化自体はかなり流動的ですぐに古くなる対象なので、とりあえず総論で把握する一方で、テマティックな掘り下げを各論で進めたい。権力構造論・政治学、歴史の語り、展示と論争論、パブリックヒストリーと教育機会・公共性、社会運動のツールなどの論点と座りが良さそう。

コロナ禍で変容する「展示の現場」ーー第四のミュージアムのデジタル化」『博物館研究』vol.56 no.9 (no.640)、2021年9月、19-23。

 

 

書いたりしゃべったりやってみたり。2年ほどの「とっちらかし」を振り返ってみた。ところでこの記事は、毎年暮れになると自分の仕事を振り返ってブログで紹介している研究者のエントリーに触発されたものだ。これまであまり意識してなかったけど、やってみて、自分の軌跡を言葉にしながら結びつけ、方向性を定めていく作業なのかもなと思った。定期的にやってみようかと思う。

 

活動一覧

Writings

コロナ禍のフィールドワークとアメリカのカーデモ(前) - コロナ禍のフィールドワーク(連載)」『FENICS』 2020/04/25 

コロナ禍のフィールドワークとアメリカのカーデモ(後) - コロナ禍のフィールドワーク(連載)」『FENICS』 2020/05/25 

東京・代々木「ブラック・ライブズ・マター・トーキョー」デモのエスノグラフィー:ネットで軽やかにフィールドをつなぐこと、「見えない」ものに目を凝らすこと - コロナ禍のフィールドワーク(連載)」『FENICS』 2020/06/25 

ハッシュタグをハックする:K-POPファンのブラック・ライブズ・マター運動 - コロナ禍のフィールドワーク(連載)」『FENICS』 2020/07/25

正義の荒らし?――警察アプリとTikTokをめぐるK-POPファンの平和攻撃 - コロナ禍のフィールドワーク(連載)」『FENICS』 2020/08/25 

パブリックヒストリーが開く虐殺の歴史――オクラホマ州タルサをトランプ集会とHBOドラマ「ウォッチメン」で見る」『FENICS』 2020/09/25 

追悼アダム・シュレンシンジャー:「アメリカ郊外」を笑いに変えるインディーポップマエストロ(前編)」『新型コロナウイルスと音楽産業JASPM緊急調査プロジェクト2020』日本ポピュラー音楽学会、2021年1月12日。

「追悼アダム・シュレンシンジャー:「アメリカ郊外」を笑いに変えるインディーポップマエストロ(後編)」『新型コロナウイルスと音楽産業JASPM緊急調査プロジェクト2020』日本ポピュラー音楽学会(近刊)

「笑い、郊外、インディーポップーーアダム・シュレンシンジャーがコロナ禍に遺したプロデュースの魔法」『新型コロナウイルスと音楽産業JASPM緊急調査プロジェクト2020(仮題)』日本ポピュラー音楽学会(近刊)

なぜオルタナ右翼はマンガのカエルを「神」として担ぎ上げたのか?:「カエルのぺぺ右翼化事件」を考える講談社現代ビジネス、2021年4月22日

「アウトサイド」からアメリカを映す――『ノマドランド』のイエ・シゴト・タビ」wezzy 2021年6月5日

コンクリートジャングルのカウボーイとカウガール 白く塗られた黒人馬乗りの歴史を「修正」する」wezzy 2021年7月3日

お化けと差別に背筋が凍る ドラマ『ゼム』が描く住まい・契約・トラウマの人種主義」wezzy、2021年8月6日

『ユダ&ブラック・メシア』とH.E.R.〈Fight For You〉――映画を深める二つのミュージックビデオを読む」wezzy、2021年9月18日

投票の前には「まだ見ぬアメリカの夢」を観る――選挙と〈アメリカン・ユートピア〉」wezzy、2021年10月29日

「ふたりでアメリカを〈何でも見てやろう〉ーー「書かない」人類学的実践の現在地 中村寛・松尾眞『アメリカの〈周縁〉をあるく』」『図書新聞』3531号、2022年2月19日。

デジタル・ミュージアム・研究――デジタル時代のミュージアムとモノと場所 」『立教アメリカン・スタディーズ』立教大学アメリカ研究所、40号、2018年3月、57-89。

遺体が芸術になるとき――医学博物館が拡張する「芸術」と医学教育の倫理」『民族藝術学会誌 Arts/』民族藝術学会、vol.37、2021年3月31日、126−139。

コロナ禍で変容する「展示の現場」ーー第四のミュージアムのデジタル化」『博物館研究』vol.56 no.9 (no.640)、2021年9月、19-23。

「女性史美術館へようこそーー展示という語りと語りなおし」『人文学のレッスン』小森謙一郎、戸塚学、北村紗衣共編著、水声社、2022年。

「マンガは熱くないうちに蒐めろ――ミュージアムにおけるマンガ研究」『京都精華大学紀要』第54号、京都精華大学(近刊)

 

Talks

「災害の記憶――美術館・博物館・モニュメント」「パブリックヒストリーの現在と未来 第一部 拓かれる様々な可能性」パブリックヒストリー研究会二周年記念研究大会、2021年3月29日

「語りの空間、ミュージアム アメリカ合衆国を「ミュージアム研究」で見る」夢ナビ講義

「美術史に「女性」をとりもどす アートと美術館のアクションから学ぶジェンダーと歴史」NPO法人The F-Word 2021年6月21日

「コロナ禍におこる社会運動の〈かたち〉」武蔵大学公開講座、2021年10月30日 

授業「書かない人類学」(立教大学社会学部「文化人類学」講義 2019-2021年度)

『あいちトリエンナーレ2019ラーニング記録集』重版出来!記念トークイベント配信!2020.07.29

FM宝塚「Afternoon View」出演 2021年12月14日 藤生恭子(パーソナリティ)

 

Projects

リサーチとアートのプロジェクト「Dialogue/Research/Trip」ディレクター 2021年7月〜。

「表現の不自由展・東京」実行委員。2020年4月〜。

ウェブマガジン『-oid』企画・編集 2021年4月〜。

武蔵大学ヴァーチャルミュージアム(VMMU)」プロジェクト/企画展「コロナとミュージアムピクトグラムと」2020年11月3日(火)10:00~11月17日(火)23:59