雑誌『広告』に「「共時間(コンテンポラリー)」とコモンズ ーーミュージアムの脱植民地化運動とユニバーサリズムの暴力」を寄稿しました

雑誌『広告』が発売になりました。「文化とミュージアム」というお題をいただき論考を寄せています。

「共時間(コンテンポラリー)」とコモンズ

ーーミュージアムの脱植民地化運動とユニバーサリズムの暴力

 記事は、大英博物館に収集展示されるギリシャ大理石彫刻など文化財所有権をめぐる問題、ニューヨーク自然史博物館のルーズベルト像がはらむ人種主義、収集された先住民の遺骨返還などを扱ったものです。「ミュージアム近代主義植民地主義暴力装置だ」という視座の紹介からはじめて、ミュージアム植民地主義の歴史と現在にいかに向き合っているのか、今後どうしていくべきなのかについて論じました。

 ミュージアムには、モノを保管すると同時に公開する機能があります。アーカイブスと同じく保管庫ではあるものの、それとは異なる形で「歴史を書く」ために未来に開く機能を持っている「制度/施設(=インスティチューション)」であると枠づけています。概念を投げ込みながら試論的にアイデアを言葉にしてみたという性格もある論考で、この論点は別のところでも深めてみたいと思っています。

 小野直紀さんが編集長を務めた今期『広告』は今号で一区切りのようです。今期のテーマが「いいものをつくる、とは何か?」であったように、プロダクトデザインや広告などを始めとして幅広い「ものつくり」に携わる読者をイメージして書きました。限定した意味での人文学に限らず、より広い読者に自分が届けられる議論はなんだろうかと問いながら。

 特集冒頭では、小野さんの吉見俊哉先生へのインタビューから「文化」概念の総括がなされています。植民地主義ミュージアムの関係に関する研究の先駆者たる先生とまさか同じ号に掲載されてしまうとは。。。大変光栄で嬉しくもあり、気が引き締まる思いです。(打ち合わせの時点ではそこまではわかりませんでした。)

 その他の記事も美辞ではなく文字通り本当に面白いです。とくにカルチャー誌論やカタカナ用語論あたりは自身の他の研究とも深く関わるもので、とても興奮して読みました。各記事は独立して面白く、同時にそれぞれが連想を生んでリンクするものでもあり、「雑誌」媒体に特有の「偶然の幸せな出会い」の魅力を久しぶりに感じた気がしています。号を重ねてどんどん増えていったという頁数、本号は驚愕の1100頁で44万字! 多くの人が「出会う」可能性大なつくりですね。

 この雑誌は、博報堂が業界誌として出版したものがルーツにありますが、近年は非常にユニークな位置づけの人文系雑誌として刊行されてきたものです(https://kohkoku.jp/backissues/)。「雑誌」も、そして「ミュージアム」もまた時代に沿ってその役割やあり方を変えていく。届いた書誌を手に取りながらそのように思いを巡らせています。

 特集テーマを反映してデザインされた装丁が毎号面白くて、ワクワクして届くのを待ちました。届いたものは「赤」単色で塗られた辞書のようなかたち。この意味はなんぞや、と、思っていたら、じつはグラデーションで微妙な色違い版がたくさんあって、コンセプトは「同質のなかの差異/差異のなかの同質」とのこと。「文化」を表すのにこうきたか! 連想も膨らみます。

 連動企画として、「赤から想起するもの世界100カ国調査」も実施公開中です。
https://note.kohkoku.jp/n/n571eb6b1da7e

 リニューアル号以来の装丁デザインチームは、グラフィックデザイナー上西祐理さん、加瀬透さん、牧上寿次郎さんの三名ということです。今月末にはその背景をひもとくイベントも開催されるそう。

note.kohkoku.jp


 過去の装丁はこちらから。「流通」がお気に入り:

雑誌『広告』|Vol.416 特集:虚実

雑誌『広告』|Vol.415 特集:流通

雑誌『広告』|Vol.414 特集:著作

雑誌『広告』|Vol.413 特集:価値

 中も外もとても気にいっています。何度も読み返す大切な書籍になりそうです。書店で見かけたらぜひ手に取ってみてください。1000円という破格の値段は、所収の吉見俊哉先生のインタビューで「文化と経済」の関係が語られている箇所と響き合います。この本がこの条件で手に入ること。そうした社会を育てること。カルチャーとは「耕す」ことですね。こうしたプロジェクトに参加できて光栄です。

 

【取扱店】
https://kohkoku.jp/stores/


【目次】

文化とculture 社会学吉見俊哉 × 『広告』編集長 小野直紀 文:山本 ぽてと
ドイツにおける「文化(Kultur)」概念の成立とその変質 文:小野 清美
文化と文明のあいだ 文:緒方 壽人
まじめな遊び、ふざけた遊び 文:松永 伸司
建築畑を耕す 文:大野 友資
断片化の時代の文学 構成・文:勝田 悠紀
現代における「教養」の危機と行方
哲学者 千葉雅也 × 『ファスト教養』著者 レジー 文:レジー
ポップミュージックにおける「交配と捕食のサイクル」 文:照沼 健太
カルチャー誌の過去と現在 文:ばるぼら
「文化のインフラ」としてのミニシアターが向かう先 構成・文:黒柳 勝喜
激動する社会とマンガ表現 文:嘉島 唯/編集協力:村山 佳奈女
中国コンテンツをとりまく規制と創造の現場 文:峰岸 宏行
SNS以降のサブカルチャーと政治 文:TVOD
開かれた時代の「閉じた文化の意義」
哲学者 東浩紀 インタビュー 聞き手・文:須賀原 みち
文化を育む「よい観客」とは 文:猪谷 誠一
同人女の生態と特質 漫画家 真田つづる インタビュー
聞き手・文:山本 友理
ジャニーズは、いかに大衆文化たりうるのか
社会学者 田島悠来 × 批評家 矢野利裕 構成・文:鈴木 絵美里
ディズニーの歴史から考える「ビジネス」と「クリエイティビティ」 文:西田 宗千佳
ラグジュアリーブランドの「文化戦略」のいま 文:中野 香織
成金と文化支援 日本文化を支えてきた「清貧の思想」 文:山内 宏泰
経済立国シンガポールの文化事情 文:うにうに
流行の歴史とその功罪 文:高島 知子
広告業界はなぜカタカナが好きなのか 「いいもの」未知との遭遇から生まれる 文:河尻 亨一
クリエイティブマインドを惹きつけるアップル文化の核心 文:林 信行
未知なる知を生み出す「反集中」 文:西村 勇哉
「ことば」が「文化」になるとき 言語学者 金田一秀穂 × 『広辞苑』編集者 平木靖成 聞き手・文:小笠原 健
風景から感じる色と文化 文:三木 学
「共時間(コンテンポラリー)」とコモンズ ミュージアムの脱植民地化運動とユニバーサリズムの暴力 文:小森 真樹
京都の文化的権威は、いかに創られたか 構成・文:杉本 恭子
生きた地域文化の継承とは
3つの現場から見えたもの 構成・文:甲斐 かおり
ふつうの暮らしと、確かにそこにある私の違和感 文:塩谷 舞
過渡期にあるプラスチックと生活 なぜ、紙ストローは嫌われるのか? 構成・文:神吉 弘邦
文化的な道具としての法の可能性 文:水野 祐
「日本の文化度は低いのか?」に答えるために 構成・文:清水 康介
イメージは考える 文化の自己目的性について 文:中島 智


追記:また、今号の発表後ジャニーズを扱った記事で、著者の発言の一部が博報堂広報室長の判断により削除されたという問題が起こりました。その件に対して何が起こっていたか、小野編集長が公式見解を発表しています。折しもジャニー喜多川氏による性犯罪被害者へのインタビューを中心に構成されたBBCドキュメンタリー『プレデター(Predetor)』が日本でも公開された直後でもあり、憶測に基づく粗雑なコミュニケーションが生じかねないと思われます。公式見解もぜひお読みください。この件の記録も兼ねて末尾に記しておきます。 
https://note.kohkoku.jp/n/n1c49de418dff