●Bronx Museum of The Arts
広めのギャラリーが二つとオディトリアム一つのそれほど大きくないミュージアム。「現代美術」と「ブロンクス」がコレクション・企画の二つの柱。
-URBAN ARCHIVES: EMILIO SANCHEZ IN THE BRONX
展覧会もその二つに合わせて開かれていた。Emilio Sanchezはキューバの作家で50年代からブロンクスで活躍したペインター。フラットな筆致。時期が重なっているのもあって昨日のアメリカのシュルレアリスム展に出ててもおかしくない。生気のないストリートの風景。
-MUNTADAS: INFORMATION>>SPACE>>CONTROL
もうひとつの展示は生まれはバルセロナ、直接にはブロンクスとゆかりのない作家で、メディアによる現実の構築性をテーマとしているような作風で、個人的にはかなり好きだった。活動歴が長くて作品も多彩なため、漠然としか特徴つけられずキュレーティングに困っている印象。
キュレータによるキーワード乱発(笑)⇒
information, interpretation, representation, subjectivity, translation, editing, power control, space, public, spectacle & fear
・コロッセウムや門を要素に分解して提示して言葉を対応させて展示。
マグリットの「これはパイプではない」に、コロッセウムの社会構造も入れたような作品。
・ブラジルの街のポスターを分類し、言葉はフラッグに色分けして意味を強調、それらをゴダールの映画の引用で編む。
象徴としてランドスケープやアーキテクチャを分解する考現学・人類学のような手法、非常にフォトジェニックだったりすることが何故か温かみやおかしみを出んでいるようなところがいいバランスだ。Mario Garcia Torresとか、かじこでもいろいろ展示してくれた下道基行くんを思い出した。
・"LIFE”誌の選集The Best of LIFEから、戦争についてのページの引用を掲示。ハードコピー+写真ヴァージョンとスライドショーヴァージョンがある。メディアの虚構性や暴力というネガティブな側面と、メディアのもつポジティブな側面を併置して見せる。
面白いことに、 この作品の五枚の写真に「キャプションつけてね」ってワークシートを作って観客参加型にしているのだけれど、それを見たらけっこうブロンクスと関連づけて解釈している解答が多かった。
ゴリラと女の子が手を取り合う写真に、「平和!もうブロンクスは治安悪くないよ」というキャプションがついていた。
ちょうどこの時も小学校低学年くらいの子供たちの学習会が開かれていた。子供たちの話きいてると、発想力がすごいねー。いかに自分が美術史とか思想史の見方に制限されているか。眼からウロコ。といいつつも、山本高之さんの映像を見た時の感じを思い出してしまうふがいなさ(笑)。
[youtube http://www.youtube.com/watch?v=tmkpMbAmoH0?wmode=transparent]
山本高之「どんな地獄にいくのかな」
ブロンクスというおそらくハイクラスな現代美術よりはストリートアートとのつながりが強い地域で、このミュージアムが地域住民への現代美術の窓口的役割を果たしているとすれば素晴らしい。前述した二つのミュージアムの例に見たとおり、ハーレムが、トラディショナルで既に高級文化の一部と化したジャズにアイデンティファイしたり、あるいはミュージアムによってストリートアートを高級文化として位置づけ直す戦略をとっているとしたら、それとはまったく異なる方法論でミュージアムが社会的意義を果たしているといえる。近年のミュージアム・スタディーズ理論においてジャネット・マースティンは、「観客などの積極的な参与を促して、単なる知識の伝達を超え、明確に社会的役割を果して影響を与えることをも目的とする」ミュージアムを「ポスト・ミュージアム」と名づけた。まさにこれらの戦略の比較からは、ポスト・ミュージアムにおける文化の表象/再現(representation)の政治学が見られる。