「当たり前に生きる」ことの脆さ:ワン・ビン(王兵) 『無言歌』

当たり前に生きることとはこれほど難しいのか。

本作の舞台は1960年、中国西南部の荒地。文化大革命前、毛沢東は自由な批判を受け入れるとして「百花斉放・百家争鳴」の運動を推進した。しかし、それに従って政府・毛沢東を批判した人々は、翌年徹底的に弾圧される。この「反右派闘争」の際、思想修正のための強制労働を行った再教育収容所が描かれるドラマである。

この事件の政治的意義・是非を問うほどの理解は自分にないし、生存者への聞き取りを元にしたノンフィクション小説(楊顕恵『告别夹边沟』 2003年、上海文芸出版社)および実際の証言からワン・ビン王兵)監督が脚本を書いたという本作がどれほど「事実」を描いているのかということにはあまり興味が持てない。もっとも強く心に残ったのは、食べること、働くこと、働いて充足すること、思想すること、そして死ぬことという「当たり前」のことがどれほど困難で貴重な行為であり、それがいかに複雑なシステムで守られているのかという気づきである。

僅かながら存在するストーリーから見るに、本作もまたその辺りに焦点を当てているように思う。この再教育にあらかじめ織り込まれた徒労性が示唆される場面―――現場監督たちが作業の遅れと飢饉の到来、本部からの人材供給の停滞を伝える―――で始まって、このなにもない労働の時空間で「ただ、ただ生をすり減らしていく」そんなシーンがいくつか流れてゆく、そして、労働農場が閉鎖されるでもなくただ収容者たちを還す場面で突然幕を閉じる―――この労働農場はいかなる役割を果たしているのかということやこの後どうなったのかという後日譚を描くでもなく、中央の政治を描くでもない。かといって、とりたてて人間の心理を捉えるでもない。「緩漫な生の摩耗」という蓮實重彦の言葉を引用したがあるが、まさに生がすり減らされる「日常」が切り取られている。

飢饉によって蓄えも底をついた食料状況では、収容者たちはほとんど何も入っていないスープだけを常食にする。ネズミや木皮、果ては他人の嘔吐物や死骸までも喰らうしかない惨状は確かにおぞましい。死者たちは、人型に土を盛られるより他にはほぼゴミ同然に扱われている。事情を知らず「都会」から旦那に会いにやってきた妻は、夫が死んだこと、ここで「死ぬこと」が何を意味するのかがわからず発狂寸前で夫の亡骸を探し続ける。生死記録人(ここで高官ではなく記録人しか登場しないのもまた、カフカ的な気色悪さがある)や同室の人々が亡骸を探すのを諦めるよう説得するも、妻は亡霊のように亡骸を探し続ける。彼女にとっては「夫」であるそれは、彼らにとっては「死骸」である。

我々が普段直面している「当たり前に死ぬこと」とは、幾重にも幾重にも重ねられた手続きによって「人」を「ゴミ」ではなく「遺体」に変えていく上でようやく成り立っている。「当たり前に食べること」も、動物に直接手を下さずして目の前に「食肉」が並ぶように、高度に設計されたシステムによって成り立っている。
作中、人肉食をしたものを厳重に処罰しようとする高官たちが描かれるが、なぜそれがいけないことなのか、なぜこれほどまでにタブーとして処理される行為なのか、わからなくなってくるようなところがある。この意味で本作は、ある種の法哲学的な問いを投げかけているように思う。(超越論的な、あるいは撞着語法的な物言いではなく答えられる人はそう多くないはずだ。例えば、人肉食ではなく「なぜ飼っているペットを食べてはいけないのか。これほどまでに食べたくないのか」、としてもいい。)

そういえば昨年の今頃も同じようなことを考えたのを思い出す。
東日本大震災が起こったその日、ボストンにいた自分にはおよそ一日間ほとんど何が起こったのかわからなかった。すぐにわかったことのひとつは、自分が何かを知ることはこれほどまでにメディアの力に拠っているということ。その後も原発によってフクシマという地域をリスクという犠牲のもとに私達の生活を支えていた構造が明らかになった。

政治的なものに限らず<大きな衝撃>を与えられたときに「当たり前」の自明性が問われ、晒される。無言の歌はここに響いた。