せっくすのひ: thinking exhibiting sexuality, neither naughty nor masturbating, at Location One and Museum of Sex

ようやく段々と体調も戻ってきた様子。

休息しながらうだうだしているが、今日は思い切ってミュージアムを巡ることにする。thrift store(古道具屋)を物色していると面白いものがありすぎて楽しくなるが、ほどほどにでかける。

どしゃぶりの雨の中、土産物屋の並ぶcanal streetを歩く。住所に従って探したChildren's Museum of Artがみつからず、おかしいなと思ってその辺りで聞いてみると移転したとのこと。他の目的地の近くだからって昨年刊行のガイドブックで調べたのが間違いだった。諦めてSohoのLocation Oneへ。  

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● Lilibeth Cuenca Rasmussen 'Afghan Hound' at Location One

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アフガニスタン出身の女性アーティストによる小さな個展。レジデンス作家なのかは不明。

とても陳腐で、もうキッチュとしかいいようがない曲に乗せて、これまた陳腐で酷く見苦しいセクシーダンスを踊りつつ、アフガン社会に蔓延するマスキュリニティを安っぽい物語を歌うことで批判する。俗悪さもそのストレート過ぎるプロットも効果的で、いろいろな意味ですごく心に刺さる作品だった。

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彼女自身のセクシュアリティのポジションによって作品の持つ意味の奥行が全然変わってくる。この作品をアメリカでレジデンシーしながら作るときには一層それが複雑になる。ストレートな女性が抑圧された女性性を誇張して戯画化しているのか、あるいはレズビアンの彼女がスーパー・ヘテロセクシュアルな社会で女性性を装っている/装わされているのか。ニューヨークという、合衆国でも特段セクシュアリティの多様性が許容される場所で、さらにアーチィなコミュニティというなおさらホモセクシュアルが多い社会で生きる作家は、「故郷」におけるアイデンティティとの二重性を持つことになる。そのトランスナショナルな状況自体をこの作品で表現しているとしたら非常に深みがある。

と思って「LGBTなの?」って聞いてみたんだが、受付のおんなのこは「今日入ったばかりなの」って全然なにもしらん。ギャラリーに入ってきたときには「質問あったら何でも答えるから聞いてね!」ってキラキラしてたのに(笑)。 

 


● Museum of Sex 

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その名の通りsexをテーマにしたミュージアム。"sex"という言葉は性交という意味も性別(セクシュアリティ)という意味も含んでいて、単なる下世話な娯楽施設とあまくみてはいけない。18ドルの入館料はだてではない。ポルノビデオの規制の歴史から性具の歴史的資料はもちろんのこと、ポルノマンガのものすごいコレクションや動物の性行動の解説、性をテーマにしたアート展まである。

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もちろんミュージアムストアはおしゃれなポルノショップの様相。

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地下にはいいムードになったカップルがなだれ込むためのバーまで用意されている。ちょっと遅めの20時閉館で、デートの一次会に使ってねと言わんばかり。本気でエンタメするアメリカのミュージアムはここまでやってくれるのだ。

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アメリカではごくごく稀なカップル向けのホテル(※独自の調査によれば、テーマパークのようなラブホテルっぽい宿泊施設が全米に5件程度存在する)が近所に二件もあるのは当館の影響か否か。  

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細かくみれば、それぞれの展示には興味深いトピックがたくさんだ。ハリウッドの映画史を軸に映像における性表現の歴史を解説しているのだが、ハリウッドの規制の変化が表現様式の変化を生んだという語りになっている。(北野圭介のこれを思い出した)  おそらく日本の映画監督のキャリアとポルノ規制の関係(テレビの隆盛で映画産業が圧迫された80年代、黒沢清なんかの映画業界にあぶれた才能がポルノ産業に流れたに見られるような歴史があると察するが、具体的な監督名などを挙げてその辺りの事情が語られていなかったのは惜しい。

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展示されていた初期のポルノ映画 "Buried Treasure"(1929)

またポルノ全般の技術史でいえば、VHS時代のパッケージ主体の消費形態からインタラクティブなウェブ上での消費形態への変化が起こったことは大きいと思うけど、映画メディア以外の解説は全然弱くて残念。例えば、リアリティTVとホームビデオ、youtubeの関係は切っても切り離せないと思うし、デートサイト、オンラインセックスのような広義のSNS的なウェブサイトの機能が果した役割とかもっと知りたかった(個人的にあんま知らんから)。 とはいえ面と向かって「まとも」な映画史を語っている点は、単なる卑俗な娯楽施設とは一線を画していて評価できる。そしてその上で、展覧会全体が完全なる「ポルノ」として機能しているところがもっと秀逸。ここではアップを躊躇してしまう面白い写真がたくさんある。


なので動物で誤魔化す。

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動物の"性"態の展示も面白くて、両生類や両性具有など性的区別の多様性や、生殖の進化の過程などがかなり科学的な説明がしてあった(一部ほとんど理解できなかったほど)。性交の種類を分類してあったところでmounting positionやoral sexなど言葉の使い方が興味深い。動物の場合erectionしてなかったり女性が上の乗っかったりするのも(蛙のアレね)mountingと呼ぶという説明があったが、ヒトの場合それは「マウンティング」ではないよね。「ハグ」か「愛撫」だろう。ヒトの性交の比喩を使っているのだ。京都大学今西錦司周辺のいわゆる"サル学"のことを思いだして、日本同様にアメリカでもヒトの動物観が概念の分類に反映されているのだとわかって興味深かった。

 

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ポルノ漫画の歴史も非常に濃密。30年代以降ディケイド区切りでアメコミのポルノの歴史を描く。特にディズニーについての件りが長々とおもしろかった。初期作品にはけっこう猥雑な描写があることがファンたちの間では非難の的になっているだとか、ライオンキングの背景に群衆が描かれている場面で"SEX"の文字が浮かび上がるといった類の(くだらない(笑)!)ディズニー作品のエロに関する都市伝説とかいろいろ紹介されていて、馬鹿馬鹿しくて笑った(声に出さずに)。

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なかでも風刺作家Wally Woodが描いたディズニーキャラ総勢で乱痴気騒ぎのイラストがフィーチャーされて壁一面に引き伸ばされているはなかなかのインパクト。

2000年代がコスプレポルノ映画で終わっているのはよくわからなかったけど。コスプレはマンガと全く別物では?マンガを原作にした実写映画と同じで、別にマンガと同じように消費されているわけではないし。

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「インターナショナル」のコーナーで「日本の」ポルノマンガ・アニメが数点紹介されていたが、一つも知らなかった…。うーん、なんだろう。「日本のエロマンガ・アニメ」というアメリカ市場向けに生産されたものがあるのかな?「まいっちんぐマチコ先生」のチラリズムとか吉田豪の「デビルマンレディー」とかは古典的な日本のお色気コメディーだし、あとは「らんま1/2」あたりから始まって桂正和電影少女」とかまで含むような広義の「萌え」マンガとか(無論「空気系」のような狭義の萌えも入れていいけど)、そういうのって描写自体は軽すぎてアメリカでは「ポルノ」枠に入れにくいのかな?

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興味深いのは観客はほとんどカップルとか夫婦だという点。「真面目」と見せかけた展示が実はポルノとして機能している、というようなものではない点に、公的空間でおおっぴろげに性を楽しむ習慣があることがこうした形式の娯楽展示施設を成立させているんだなと感じる。日本では、ピンク映画館とかのように、映画館なのに個別に干渉するし(映画館という暗く設計された空間だからこそ、とも言えるけど)、ストリップ劇場はその「ダンス」を見に行く場所であってアメリカのStripp Barのように男集団で飲みに行く場所ではない(結婚前の男性最後のパーティで欠かせない場所だし、接待で使ったりもするらしい)。

ちょうど日本でも東京国立近代美術館で「ぬぐ絵画―日本のヌード 1880-1945」展という、ヌードをテーマにした美術展が開催中で気になっている。黒田清輝周辺の裸体画論争からオタクカルチャーまでいろいろカバーしているらしいけど、なんだか美術界だけじゃなくて盛り上がっている(CINRAなどでtwitterが大盛り上がりなのをチラ見した)のは、やっぱこの展覧会自体ある種のポルノとして機能しているんじゃないのかなと思っている。とはいえ女性キュレータが主催してて、「これは女性じゃないと出来なかった」とか謳い文句になってたから、帰ったらちょっと確認しに行きたいと思っている。

本館には女性同士で大盛り上がりの客もいたが(レズビアンっぽくはなかった)、男独りはぼくともうひとりだけ。彼はひげもじゃで一眼レフ下げて、なんかどこかしらawkwardな感じでギークぽかった。二人して確実にむっつりスケベだと思われたに違いない(笑)。個人的にはあんま気にしないんだけど、ほそーいイケメン風の白シャツでキメキメの男性店員が終始訝しがってとっても居心地が悪かったよ。(多分それくらい「オシャレ」じゃないといろいろ誤解されるから彼も苦労しているんじゃないだろうかと苦労を察する)

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帰ってAnthonyにこの話すると大盛り上がり。日本のラブホテルの話を金益見(きむいっきょん)さんの『ラブホテル進化論』のネタを交えていろいろと話す。Anthonyは学生っぽく議論好きで、最終的には歴史問題の話になって、日本や東アジアの教育制度を単純化した図式で批判されまくってめんどくさい議論になってきた。なんとか友達の研究の話をひっぱって、アメリカの美大で韓国人留学生が増えたことには韓国のアメリカ留学熱や女性一般に存在している文化系への傾倒が関係しているだとか(日本の「芸大」のようなロードアイランド州デザイン学校での研究)、指導教官の研究を引いて、パールハーバーメモリアルや日米高校歴史教師意見交換ワークショップの研究などで歴史構築自体に自覚的な研究者もいるんだよーっていろいろ言ってみるけど、なんか彼が挑発的になってて疲れる。深夜というか朝になる。