人付き合いや人付き合いのことを考えて盛り沢山

雰囲気のわからぬまま緊張してAmerican Studies Association, ASAの年次大会に出かける。会場のHiltonは泊まっているホテルからほど近かった。計3フロアを使ってかなりの数のセッションが同時開催されている。ホテルなのでロビーにはソファやクローク、バーもある。興味があるものや知人のセッションを観ていると、研究科の先輩小田さんに出会えた。隣の方は、どこかで見た顔だと思っていたら一橋の学生で一度中野先生の研究室でお会いしたことがある箕輪さんだった。デラウェア大学の博士課程に留学しているらしい。別れた後、矢口先生が吉原真里さん、Lon Kurashigeさんと一緒にいて談笑に精を尽くしていた。土曜日会うことを少し伝えられ別れる。先生方はホテルはHiltonだったようだが、ここに泊まって知古をお互いに確認するというのが、学会をホテルでやる理由なのかとわかった。

 

各セッションのノートは控えるが、Three Documentaries: Emergent Strategies from Conservative Activist American Religion Movementという題でエヴァンジェリカルの記録映像を材料にしたセッションはかなり気になって通して出席した。2名が主に各一本ずつドキュメンタリー作品を紹介して、もう一名がその両者に分析を加えるという構成。三点ほど気になったのだが、まず一点目に前二者の発表内容は資料の単なる紹介だということ。こんなんミュージアムに置き換えれば僕でもできるわ。ビデオ探しただけじゃん。その一方で、発表はかなりうまいため、これで口頭発表の体になるんだなあ、という印象。後で小田さんたちと話してるときも話題に上ったが、資料紹介という意義にしても、ビデオ一本だからな。特に保守派=「他者」なら誰でも当たり前に知っているものをこの場に持ってきただけで「資料紹介」という意義になるのかという疑問。これと関連して二点目は、あの場にいた人々はそれを始終嘲りのように談笑し続けていたこと。この笑いを誘いやすさがまた、面白さ・キャッチーさだけで「研究」とみなされるという一点目の疑問に返っていく。発表者の討議の中でその態度は間違いなく嘲りだと確信したのだが、タイトルが「保守Conservative」としてあるのは彼らの批判的見解をかわすためで、「賢く逃げたね」とかって開き直ってるし、いつもどおり含み笑いの「興味深いよね」が聞こえてくる。確信犯的にうまく批判を避けて、内輪でネタにしている。三点目は、更に悪いことには、その「他者たち」と交渉する意思がほとんどなさそうだということ。セッション終了後、彼らと直接話すことはあるのか、発表者の授業をエヴァンジェリカルは受講したり、意見を言いに来たりするのかを尋ねたら、ほとんどその機会はなくて、一度一人の学生がいたけどすぐ来なくなったわ、とのこと。

まあ印象ではあるがこうした状況には辟易した。あるいは、真摯に意見を対決させることができない状況、構造的な泥沼なのではないかと察する。うまく批判をかわす、先手を打つ、という先の態度は直接交渉をする必然性を失わせるのではないだろうか。つまり、「こちらがわ」では完全に意見の違いを露わにしながら、直接に向きあうときはこの「こちらがわ」での顔ではなく、彼ら向きにつくられた態度でのみ、確信的に「態度表明」して付き合っているのだ。彼ら向きの態度で付き合う、とは本当に向き合って交渉することとははるか遠く、だからこそ彼女の学生はすぐに去っていったし、話しても意味がないと諦めているのではないのか。同様にこの態度がエヴァンジェリカル側にもあるとすれば泥沼だ。暗い泥沼。上っ面で「衝突」を装って、しかし意見は決まった型でしか出し合わない。平行線になるのは当たり前だ。1980年代以降の創造・進化論争において、ミュージアムは公立教育に代わる創造説教育の方法論として定着した感があるが、「抜け道」を作るような態度で交渉をくりかえすのは、何かもっとこの国(なのかもっと他の単位なのか)全体にあるコミュニケーションの作法に由来するのではないのか。そもそも議論が水掛け論的になされる習慣・・・。「こちらがわ」のアメリカ研究者の態度を見てファンダメンタリストたちと比較することで、何かこの構造の一端が見えただけでもよかった気がする。

これは自己反省も踏まえている。が、やはり明確に彼らとの立場の違いを感じたのも確かだ。「保守派研究」の専門家にはならないことを決意した。

 

全体に、ASAはお金のかけ方や広報、社交も含めたシステム面など「外身」はとても合理的で立派だが、ひとつひとつの発表はピンキリで「中身」はそれほどアメリカ学会周辺の研究者と大差ない印象だった。明日以降、研究面や教育面をもう少し判断していきたいところ。


公私ともに境遇が似ているので彼女の仕事をみながらいつも勝手に励まされている人類学者の友達から連絡があった。この旅をどうアウトプットするか、という話で「作品」としてという話、また、「ワークショップ」という話、また「研究報告」という話、いろいろな誘いをもらう。なんだかありがたい気持ちになる。

 

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