保守派研究、ウェブ時代のリサーチ

昼頃からASAに。結局セッションを通して見ないとあまり得られるものもないという気もしてきたので、今日は腰をすえて2、3のセッションに出る。

一方は「保守派研究」セッション二つ。(というか、昨日のセッションで"Conservatives"というタームを使うのを「いい逃げ方」と誰かがコメントしていたように、Creationist創造論者という言葉は"PC"的ではないので「保守派」というようだ。細かいノートは別に記したが、昨日から最終的には以下の3つのセッションに出席したことになる。

⑴ドキュメンタリー; メディア研究

⑵読書研究; 文化史、社会学

⑶政治と宗教 

学会全体でみれば、バランスがとれている気がする。各セッションの人々の立場が気になったのは前述の通り。アメリカ研究で、リベラルな立場からの保守派研究という領域はある程度確立してきている印象。しかし宗教的な知識の問題だけではなく、やはりこの領域を専門にする気には全然なれなくなってきた。それがわかったことはかなりの収穫か。自分は博物館やメディア、システムの研究に関心があるのだ。(渡部くんがfacebookで、自分は芸術作品それ自体にほんとに関心がなくて思想に関心があるだけなのだ、とつぶやいていたことを思い出す)

プロビデンスブラウン大学に留学中の友人到着。こちらに来てからかなり本を読んでいるようで研究の話になると湧き出てくる。めちゃいい留学経験をしているようで羨ましい。ある作品の批評について「天才だ」と感じて興奮して話したり、受講する4人の先生の授業のうち一人の授業は本当に面白くてやる気になると話してたり。刺激をもらう。
フロイト理論からバトラーの「欝melancholy」概念を考えてきた上で、最近は「喪mourning」の概念に関心が移っているという。その事例として、911などアメリカの記念碑的行為を事例として考えているらしい。指導教官も、その研究をしているようで、基本的には近年の記念碑的な喪の行為がどんどんスパンが短くなっているという理解に基づいて、その理由を考えているらしい。
僕個人的にも、ミュージアムスタディーズの理論をまとめていくなかで、記憶装置としてのミュージアムへの関心が強くなってきたため、彼の話はとても興味を持って勉強させてもらった。Memory Studiesも勉強しなければいけないひとつの領域であることを再認識する。

ASAに戻る。もう一つの論点は、この春頃から個人的にも考えてきた「ウェブ時代のリサーチ」について。"Transforming Scholarly Research in the Digital Age"というセッションが組まれ、とても興味深い。内容はtwitter, facebook, web-networking, electoronical archiveなどによる近年のリサーチ経験を4人の研究者が紹介するもので、一人がメディア・スタディーズ的にこの状況を議論していたものを除き、単なる下手な紹介という印象。しかし、ASAでもこうした関心が持たれていることは参考になる。もう少し実際的な方向で温めていきたい。

夜は小田さんたちを交えてEast Inner Harbarへ。小田さんの友人オススメのギリシャ料理、スペインタパスをはしごする。なんだか初めての人たち同士のシャイな感じでぎこちないが、とても楽しくお酒を交わした。歴史研究者が3人も揃ったので、ここでまた、先のリサーチの話をアーカイブに絞って訊いてみる。しかし、一次資料の重みを大切にする立場からか反応はイマイチ。「主義」を超えて現状を分析、紹介していきたい。また、次の日には矢口先生にも真面目にこの話を振ってみるが「ほとんど変わらない」とのこと。フィールドワーク面で人類学、社会学民俗学ミュージアム研究者たちに訊いてみたい。あるいは文学などのクロースリーディング的な文献調査の人たちにも。

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