西池袋マダムシルクは「旅行」をする場所だった。

お盆の相変わらずうだるような暑さの中、自転車を走らせて西池袋へ向かった。或るバーが閉まると聞いたからである。マダムシルクは、雑居ビルが立ち並ぶ繁華街の中心地区から、少しだけ外れたところにある。

 

池袋の大学に通っていた頃、初めて訪れた。飛び込みで入ったのではないような気がするが、誰に教えてもらったのかは全く覚えていない。この夏閉店するというのはSNSか何かで知ったのだけど、驚きというよりは、それはそうか、と納得してしまったところもある。2000年代前半に初めて訪れたその頃から、マダムシルクは「アナクロニズム」が似合う場所だった。


当時は今より少しだけ学校に近いところにあった。授業が終わって放課後サークルの集まりの前に時間をつぶせる、そんなくらいの距離。大学には、マダムシルクに集う「人種」がいた。フランス文学、映画学や詩学の研究者、映画批評家、写真や演劇のサークル部員、文学部で創作を専攻する学生。アナクロニズムのトライブが、ここに集っていた。

 


8月14日。最近ネット上では閉まるのはいつなのかと噂が錯綜していた。とりあえず足を運んだ。夜6時半頃に着く。地下から賑やかな声がする。まだ間に合った。入口の扉に張り紙があって、明日夜10:30までと書いてある。

 

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大入り。テーブル席、少しばかりのカウンター席、全て満席。新しい店舗にはそれほど来ていないけど、満席は初めて見る景色。マダムシルクに騒がしさはなんだか似合わないが、賑やかな閉店というのも素敵だなと思う。煙草の煙がもくもくもく。

 

ごめん満席!電話知ってるよね?後で空いてるか訊いて!と景気良く言ってもらったのだが、一人でふらりと、だったので執着せずに退散する。いつものお二人はお元気そうで、記念に店内の撮影だけさせていただいた。邪魔にならない静かな写真だけ、ここに載せておきます。


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あの頃ここに集まっていたのは何故だろう、と考える。時々そういう知人もいたが、僕はランダムに誰かに会うためにここに来るのではなかった。とびきり個性的なマダムや店員さんに挨拶をしに来たのでもなかった。何故だと振り返れば、「話題」を求めてこの場所に集っていたような気がする。

 

同じ人と話しても、ここでは出てくる話題が違った。喫茶店や教室、部室や公園、外でも家でもどこででも、学生時代は本当にたくさんのお喋りをした。だが、なぜだかここでの話題は違っていた。弾むとも限らず、頭を抱えなくてはいけないような、心のどこかに引っかかってしまうような、そんな話をした気がしている。演説を聞かされて辟易したような気もする。具体例は一つも出てこないけど、「話題が違った」というその事だけを覚えてる。

それから。インターネットやパンデミックを経て、場所が思考に与える事の意味を考えている。場がどのような「話題」を与えてくれるのか。そのために自分は「旅行」をするのではないか。その意味では、僕にとってマダムシルクは、サロンではなく「旅行」をする場所だったと思う。アナクロニズムを発着駅にした、言葉旅行の目的地。とでもいうようなダサい言い回しが、あの頃を振り返って、ふと思いついた。

 

半世紀の間、どうもありがとうございました。

 

ーーー午後8:14 · 2020年8月14日 マダムシルクから·Twitter for iPhone

 

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