【ネタバレ注意】想田和弘『精神0』:「無為=0の精神」で映画における「物語の否定」を試みる映画

※以下、本編に関するネタバレがあります。事前に内容を知りたくないという方はご遠慮ください。(2020年2月21日)

www.seishin0.com

 

 

想田和弘監督の新作『精神0』を観た。岡山市内にある精神科の開業医院こらーるで撮影した『精神』(2008年)の続編で、82歳を迎えて引退する医師の山本昌知氏に取材したのが今作である。

人が社会で何かを為し、家族と暮らし、老いながら手を取り合う物語である。元々つけられていた題は、『生きる』であったという。

正式な題につけられた「ゼロ」とは、なんだろうか。冒頭の場面で、山本医師が患者との面談やセミナーで説く哲学。「生き」方の術。山本の言葉でいえば、「何もしない日を一週間に一日作る」こと――無為を作る「人薬(ひとぐすり)」である。

前作『港町』の撮影のためにアメリカから帰国して岡山に滞在していた想田監督は、山本医師が引退するのだと聞いて急いでこらーるに駆けつけた。本作の素材となった映像は、わずか三日間ほどで撮影したのだという。

 

「公/私」「聖/俗」の二分法を崩す「女性」の存在ーー「物語」を否定し続ける構成

本作では、構成が重要だと強く感じた。鑑賞を進めると映画の意味が変化する。観ているうちに、観客が期待する主題や物語が次々と裏返っていくのだ。構成が、観客の解釈をコントロールしているように思えるのである。

その構成は、大きく「前・後半」に分かれる。

まず「前半」では、カリスマ医師たる山本が放つ言葉の力や、彼の周りにいる患者たちが「先生」に寄せる「信心」にも近い信頼が描かれる。それに対して「後半」では、引退という人生の儀礼を通過した山本が、次第にひとりの「人」として生きる姿が立ち現われてくる。つまり、一見すると、一本の映画の時間の流れに「公から私へ」という人生の時間における重心の移動が投影されているように見える。

 

しかし、映画は「滞りなく流れる人生の時間」などの物語には矮小化されない。「妻」の存在が巧みに描かれる。山本は、既に痴呆の症状が進行していると思しき妻・芳子さんを介護し、寄り添い、静かに温かいまなざしで見守る。しかし、そこには介護生活における苦労が見え隠れする。彼らを撮影する監督を山本がもてなそうとするが、所作ひとつひとつからは、家事が極めて不器用な様子、つまり医師としての卓越した経験と裏腹に家庭内での「仕事」経験の欠如が痛いほど伝わってくる。「医師」としてのこれまでの功績を「陰で支え、献身してきた伴侶」の苦労が浮き彫りになる。

「カリスマ」たる山本医師がいわば「世俗化」していくのである。終盤では、山本医師の苦しそうな吐息が常に大音響で響く。人間が「普通に生きる」ことに伴う辛さが音で伝わる。老いの影も聞こえる。一種の原罪にも似た「生きる辛さ」であるが、これは、山本自身が繰り返し口にする、「生きるだけで大変なのに生き続けてきた患者から学んだ」ものでもある。映画を観ている観客は、山本を通してそのことを疑似体験する。

このとき描かれるのは、「公」の領域で働く「聖」なる存在であった「山本先生」が、引退とともに「私」の領域へと入っていったという物語である。しかし、それと同時に、「聖なる医師」という社会的存在を創り出したのは、「世俗」であった患者との関係でもあり、家族関係を通じて彼の活動を支えた女性でもあった。「聖」も「俗」の領域は一種の相補関係にあり、また「私的な活動」は公的領域と常に一体のものだということも、前半から後半への流れで明らかになる。「公/私」や「聖/俗」などとはっきり分けられるものではない。二分法が否定される。

 

そして、終盤ではさらにまた一転。

「社会で活躍する聖人を献身する妻が支えてきた」という物語もまた、否定されるのである。芳子さんの生涯に有り得た別の人生や、潜在的に持っている力、また、「夫婦」といういわば役割・立場とは別の側面にも焦点が当てられる。このスピンによって、これまで観ていた「愛の物語」もまた、人が自分や他人の人生を語るために切りとる一つの(一種のクリシェ的)断面に過ぎないのだと観客に突きつける。家父長制という根強い社会規範が私たちの脳内に植えつけた「型=物語」を通して、「家族」や「仕事」を理解するということが、いかに一面的なものであるかと思い知らされる。

社会で人が持つ役割とは、現実には曖昧で多様なものであり、人間関係や時間を経て変化を繰り返していくものではないだろうか。人間が共に生きる「かたち」とは、制度や理念が求めるようには安定しない*1。「人間」や「人生」や「物語」とは、ある一つのかたちにとどまるものではない。映画は、被写体を通じて人生の「うつろい」を示しつつ、物語とは不定形なものだと観客に体験させる。

 

撮影=観察の倫理

想田監督の他の作品に比べて本作は、撮影主体つまり監督らの映像内での存在感が目立つ。監督が掲げる「観察映画」の十戒(コンセプト)には、「(9)観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す。その場に居合わせたかのような臨場感や、時間の流れを大切にする。」とはあるものの、実際のところ、主観視点の不在は鉄の掟ではない*2

今作ではいっそう、言葉を発すべきと判断した場面で監督はちゃんと目の前の人と話している。そうしたカットが「想田の編集を経て」使われている。観客が今観ている映像は誰が為したものなのかを示すという、倫理的な選択が、観察映画のフォーマットをとりながらも強調されているようにも見える。途中、想田監督と撮影を共にするプロデューサーの柏木規与子さんが「ドキュメンタリーですから私たちはいないものとしてください」と被写体に説明しているカットは、ドキュメンタリー映画制作が極めて主観的なものだということを明示している*3

撮影倫理について考えさせられる究極は、被写体の排泄シーンを無音にした演出だ。配慮でもある一方で、しかし突如無音になるこの方法は、このカットを強調して焦点化する機能も果たしている。人間関係の深さをパワフルに描くシーンであるが、このカットや手法を使うかどうかの判断は、映画における「神」たる監督の御心にかかっていた。筆者はこのシーンがどうにも気にかかり、この「倫理」をどう理解するべきか、しばし考えさせられた。

そして、このことが実は、道徳的な選択は常に両義的であるという、ドキュメンタリー映画にとってかなり本質的なことをえぐりだしているのではないかと思い至った。誰かを撮影してある物語を描くとき、それがある立場や一つの解釈からは道徳的であり、それが社会的な意義が極めて高い場合でさえ、画面に描かれた全ての「誰か」は映画の素材(パーツ)として使われることになる。ここには、一方向に働く、避けられない力関係がある。これは、ドキュメンタリー映画の撮影だけでなく、ジャーナリズムが行う取材や、文化人類学者によるフィールドワークなど、社会や文化を「書く/描く」あらゆる行為が有している本質的な暴力である。撮影者の存在が入るカットが多く使われたのは、二作目の撮影で既に現場において関係ができているからという実質的な事情だけでなく、より繊細な「倫理的な配慮」を画面で示したものなのではなかっただろうか。

 

人類学的に描かれる「岡山の風景」

「想田監督のレンズ」を通した風景は、とてもリベラルでグローバルでコスモポリタンだ。結果的に「日本社会」を、ある種の「民族誌文化人類学」の目線で描くものになっている。アメリカ社会を対象に文化人類学的な研究をする筆者が観察する視点は、想田作品とよく似たところがあるとこれまで感じてきた。この点で想田監督作品に強い共感を抱き、知的な興奮を覚えてきた。

「観察」という、一見とてもニュートラルにも見える映像においてもまた、素材の選択、カットやフレームなどの画面構成、シーケンスの順序などの編集を通じて、観客を圧倒する極めて雄弁な「物語」が語られているのである*4。これは、観察映画第一弾の『選挙*5』以来、一貫している。

本作はどうか。日本の古典的なスタイルの城郭を背景にスペイン語を話す外国人観光客。古ぼけてレトロなフォントで書かれる“昭和”的”な看板に、韓国料理やキムチの文字(毛並の非常に悪い野良猫を撮るカットにも執拗にフレームインする)。「ママチャリ」というアジア圏(または日本社会に?)独特で、欧米ではあまりお目にかかることのないデザインの自転車にまたがり、スマホに熱中する小学生(筆者も想田さんの住むニューヨークに近い街に住んでいたことがあるが、北米の都市部の路端でスマホに熱中するのはひったくりに遭う大変危険な行為である。一度被害に遭ったことがある。)。画面の外で、中国語での会話が聞こえる。「学生服」会社の看板が遠くに見える。ーー宇宙人か異世界の住人が世の中を見ているような映像にも思えてくる。そして、撮影者は中学生にいじられたりして、「見られても」いる。

 

岡山で生まれた筆者が見た景色

筆者は、この画面に映るまさにその街で生まれ育ち、東京都内で学生時代を過ごし、アメリカのいくつかの街で研究調査をして人生を過ごしてきた。本作を含めて岡山で撮られた想田作品を観る際には、いつも自分の「岡山ローカル」というアイデンティティが奇妙に働く。「内」と「外」、2つの「レンズ」を持っていると感じるからだ。

例えば先に挙げた「学生服」は、岡山の日常の風景を彩るものである。岡山の企業「カンコー学生服」は、日本国内の九割ものシェアを占める学生服メーカーである*6。しかし、岡山を一歩出て外部からの「レンズ」を通せばその存在は、軍服や昨今であればネオナチなども想起させる異様なユニフォームで、あるいは日本の教育界に蔓延る悪しき「画一化」の象徴とも見える。監督の意図はわからない。筆者の目には、そう映った。

岡山の小さな漁村で撮影した『港町』でも、老人の「濃い」岡山弁がモノクロームの美しい画面に響いたとき、非常に奇妙な違和感を抱いた。それは、映画のなかに「自己」が捉えられる感覚ではないだろうか。ここでいう「映画」とは、報道映像のそれではなく、ドキュメンタリー映画やハリウッド映画のそれである*7

 

「主体を複数化する」ために違和感を用いるーー積み重ねによる「0(ゼロ)」

想田監督作品とりわけ今作について考えるには、この「被写体として対象化されることに違和感を覚えること」が大切なのかもしれない。いまだはっきりとは見えない映画の主題(subject)、あるいは「不定形に、一つにとどまる有為をゼロにすること」というメタな水準での主題に、このことが共振しているのではないかと思うからである。

映画は、山本医師のカリスマ性を世俗化させ、さらに一人の人間の「生き様」も剥がしていく。このひとりの「ローカルな岡山人」が被写体としてカメラという剥き出しの暴力の撮影対象とされる(=objectify 「対象化する・客体化する」と「モノ扱いする」は、英語では同じ言葉である)。画面に映るものと聴こえるものが「岡山的なるもの」として描かれる。その画面の背景知識やディテールが見えすぎるほど見えてしまう筆者には、幸いこのような風景が見える。この外からのまなざしによって規定された「岡山」――いわば「オカヤマ」を、世界各地の映画祭や劇場やホームシアターで上映することは、何かの秤にかけるような違和感を覚えてもいる。

しかし多くの観客にとってはどうだろうか。投影される「物語」は、「遠くのどこかで起こった出来事」であり、「他人事」として違和感なく客体化できてしまわないか。被写体を客体化することを意識し、モノ扱いすることに違和感を持つことによって、この「無意識の暴力」に対抗できないだろうか。

「撮影者・観客・まなざすもの・描くもの」の世界と、「被写体・現場・まなざされるもの・描かれるもの」の世界を出会わせる。こうした相対化によって、いくつかの主体をいったりきたりしながら世界を理解する。この文化人類学的な方法は、あるとき二つに見えた「異なる」世界が、「地続き」でもありえるのだと思わせる。「世界は一つ」でも「様々な世界に分かれている」のでもなく、世界は時に複数に分かれてもいるし、時には一つにもなるのだ。「自分/他人」の間に線を引く時に、一歩踏みとどまる想像力を与えてくれる。

逆説的ではあるが、誰かを撮るという行為において、最も立ち現れるべき主体(subject)とは、被写体(object)だと見なしてみる。ならば、筆者が「ローカル」として感じたような違和感を可視化することもまた、撮影対象の主体性を引き出すまた別の「物語」となる。

本文冒頭で論じたのは、「物語」を重ねては崩す構成や、被写体と対話する監督が画面に現れて「見る=見られる」の関係自体を観客に示す撮影や編集の方法であった。本作で採られたこれらの方法は、「主体を複数化」するためのものなのではないか。本作が採る手法は、主体をゼロに「無化する」のではなく複数「積み重ねる」ことで、そして統一的な状態における「たった一つの正解」を無くすことで、「ゼロ」を目指すものなのかもしれない。

 

「純愛映画」?

そういえば『精神0』の広告は「純愛物語」という宣伝文句になっていたが、その部分はむしろ主題のごく一部のように思えた。「純愛」という言葉をどう受け取るかにもよるが、本作の射程としては、人生における人々と社会と家族と個人が一体になった「愛」のようなものの方が近いように感じた。うまい言葉が見つからないが、きちんと機能している「公共」のようなものというイメージが頭の中にある(「アガペー=信仰を伴う人類愛」とも違う)。鑑賞後に配給会社東風とお会いして、この広告を見て本編を観にきた人は「暗い/重たい」と感じるかもしれませんねと話した。(もちろん、純愛的な関係が二人の間に続いている、あるいはそれはライフステージによって生まれるものだ、というのは後半のいわばオチとなってはいる。) 

そのときに伺ったエピソードは、当初の『生きる』という題でなくなったのは、社長が「精神ゼロは?」と言った鶴の一声に対して、想田さんが「ピンときた」かららしい。やはり「0(ゼロ)」という言葉の奥行きについてもうちょっと理解が深まると、映画全体に通底する意味がわかるのかもしれない。ひょっとすると、想田さんが近年探究しているヴィッパサナー瞑想やその教えへの理解が必要なのかもと思ったりもした*8

 

(追記:主体の複数化こそが「ゼロ」なのであり、「主題(subject)」もまた複数化される事こそが正しいのであれば、この一つの物語もまた正しいものなのだろう。)

 

「中年/自己/物語」の危機:「無為=0の精神」の追究

ここまでまとまらない文章で覚書をしてきた。言葉にした事とも違う、映画から受けた何かの感覚について、なんだろう、わからないなこの感じ、と思いながら数日間を過ごしていた。

通勤の帰り、いつも通りの自転車に乗って、いつも通りのポッドキャストを聴きながら、いつも通りの道で、自宅へと走っていたときに、ふと気がついた。いわゆる「中年の危機(ミッドライフクライシス)」を経験した人の心に刺さる映画なのでは? 

「上を向いて進んでいた」はずなのに、人生のあるステージになってふと、「上下左右が全く変わることがあるのかも?」と、心が揺らぐこと。そんな気持ちの萌芽が自分にも以前芽生えたのを思い出した。数年暮らしたアメリカから帰国したときのことだった。

「老年の純愛映画」や「公/私の否定」といった「強い物語」と、物語に回収されるオカヤマの間で揺れた。それは、「岡山人」でもあり、「外の人」としてのアイデンティティも得た複数の「自己」の間にある揺らぎでもあった。「物語」の否定で「物語を否定する」映画。「無為=0の精神」を追究することの困難と、人が「生きる」ときには本質的に避けられない暴力。人生とはコントロールなどできないもので、映画とは、物語にすることなどできない夢のようなものだということなのもしれない。

 

参考資料

映画作家想田和弘の「観察映画」全作品解題:ドキュメンタリー映画の新地平」 https://notafighter.com/kazuhiro-soda

>「映画が好きなWEBライター」村松泰聖さんによる総まとめ的評論。「観察映画」について教科書的に理解するのに大変便利です。

*1:想田監督と妻・柏木規与子さんが夫婦別姓に反対し日本政府に対して違憲訴訟を起こしていることも思い起こされる。

*2:被写体との関係が培われた上で撮られた『選挙2』にも目立つ。十戒の「大切にする」という表現にこの柔軟さが表れている。

*3:そして、その時の被写体が、撮影のために周到に準備をしている事が明白で、また、彼女の性格上も演技らしい所作をとる人物であるということは、ドキュメンタリー映画が「劇」であることを明確に示しているように思える。

*4:自分は想田作品は「眠くならない」特徴があると思っているのだが、この物語の強さに由来するのではないかと思う。

*5:なお、英題のCampaignとは、英語で「販促活動」と同じ言葉である。この点にも英語圏アメリカなど)における政治キャンペーンとのギャップを見せて相対化させる効果があり、極めて文化人類学的である。

*6:野暮な話だが、こうした事実を知った上でのことか、意識的な挿入なのかどうか想田監督に尋ねてみたい。

*7:そしてこの「物語として外部化する」効果が、一部分はモノクロ処理によるものだということも、DVDを購入してカラー版を観たときにはっきりした。

*8:第84回:ヴィパッサナー瞑想と日常生活(想田和弘) | マガジン9

宝塚歌劇団『シカゴ』@ニューヨーク・リンカーンセンター

ニューヨークで宝塚歌劇を初めて観ました。非常に興味深いものでした。演目の『シカゴ』はブロードウェイで20年のロングランを誇っているもので、ご存知のとおり、宝塚歌劇団はわりと「まんまブロードウェイの翻訳」な演出で日本語でそれを演じた。ニューヨーク公演に向けた演出にするわけでもなく、日本語で演じて、そのまま日本から持ってきた。いわば、黒田清輝大回顧展をルーブル美術館で開催するような姿勢で挑みました。

結果はある意味で、惨敗。エンタメとしては及第点だったと思います。しかしそこはミュージカルの本拠地ニューヨーク。*1新聞各紙の批評では、「なんでこれここでやる意味あるのか意味不明」みたいな辛口でやられていました。確かに自分も、ニューヨークでもう一度観ようとは思いません。それなら何ブロックか下ってChicagoを観ます。

でももうちょっと優しく見れば、まあ普通の超ド級エンタメの『シカゴ』でしたし、それほどけなすほどのクオリティとも思えませんでした。個人的には、エンターテインメントの技術面の追求にそれほど価値を見出さないので余計。さらに今回の公演は、伝説となっている往年の宝塚OGたちが登場し*2、ファンたちは「やっと会えた!」と歓喜の声を上げて彼らを迎えるような特別公演で*3、その「過去のベスト盤」みたいな舞台の演目に、『シカゴ』という「主人公たちが、愛も金も家族もモラルもかなぐり捨てて、舞台上のスターとしての自己顕示欲に魅了される世界(=All That Jazz!)」を当てたことは、見ていても演者と配役がどうしてもダブって見えるし、演者もそう感じながら演じているだろうと感じました。このディレクションは、非常に優れたアイデアだと思います。

また、やはり欧州の古典的な世界観の翻案を中心として演じてきた宝塚が*4アメリカにおける「古典」として選んだのが『シカゴ』であるところも非常に納得出来ました。古き良き(儚き)夢のアメリカは1920sのショービズにありますね。

と、演目自体はよかったと思います。しかし。日本での公演をご覧になっていた方はよくご存知かと思いますが、最後に「レヴュー(Revue)*5」をやるというのが宝塚歌劇団のしきたりで、伝統をきっちり守っていました*6。このレヴューへの観客や演劇批評の反応が散々で、おそらく半々くらいだったかなと思われる、「日本からのズカファン」と「現地の演劇一般の観客」の反応が鮮明に分かれていました。みんなの反応は、もう目の前で何が起こったのかよくわからない感じで、せっかくいい感じで演目が終わっていたのに、なんだこれは…。どうしたらいいのか戸惑っている様子。数分ごとに曲が矢継ぎ早に代わり、ここでは日本語の歌の字幕も現れず、サンバ、メレンゲなどの多ジャンルを跨いだ古めかしい曲に乗せたダンスが披露され、何度も何度もフィナーレ風に演奏が終わるがひたすら続く。他方、「ネイティヴ」のファンは、演目のときの歓声をはるかに凌ぐボリュームで、往年のスターたちの登場を迎え続ける30分間。フランク・シナトラは唯一多くの人がわかる曲のようだったが、本篇では生演奏だった楽器隊もいなくなり、ぐっと音質が下がったことも手伝って、周囲の人たち(年間パスを買っていそうな、身なりの良い白人たちがメイン)は、途中から拍手も止めたり、帰ってった人さえいました。

この後半の「レヴュー」パートは、もちろんネイティヴファンへのサービスだと思いますが*7、演劇の演出としてはどう考えても蛇足で、最初か幕間に入れるという方法もあったと思います。が、そうはしなかった。この順序・この構成という宝塚の伝統を守る意味があったのでしょう。

これは、どっちがよかったのかなあと今でも考えています。つまり、この現場では全然評価されなかったが(これからもされないようには思いますが)あえて迎合せずに伝統をそのままの形で輸出したことで、良くも悪くも「宝塚」を見てもらえたという部分があって、それはそれでよかったのかなと思っています。文化交流としては。たとえば、J-POPやビジュアル系がめちゃくちゃ日本固有のドメスティックなものだった*8、がゆえに、翻って欧州のインディーロックに影響を与えているとか、そういう意味です。

実はこの意味では、今回の公演に対する辛い批評は、全然的を射ていないなあと思います。下のNew York Timesの批評は「ニューキャッスルに石炭を売る」とい英語のフレーズになぞらえて*9「ツナサンドを寿司屋に持って行って」もダメだろう、という書き出しですが、その点では、全然ポイント掴めてないです。
http://www.nytimes.com/2016/07/22/theater/review-in-takarazukas-chicago-the-midwest-looks-a-lot-like-japan.html

宝塚歌劇のような、近代化と植民主義の過程で花開いた欧州賛美の文化が、現代日本でいまだに(強固に)残存し、他方では、女性だけが淑女教育学校システムの中で「男性は男性らしく、女性は女性らしく」というスーパー保守的なジェンダー規範を再強化する文化として残っていて、それがある種のポピュラリティーを保ってもいる*10。そういった文化が、後期近代にアメリカが「西洋」の中心地となったのちに、ニューヨークという「本場」に逆輸入されていること、そのこと自体のグロテスクさ・狂気(の凄さ)を考察して欲しかった。ツナサンドが寿司屋に戻って「ライスバーガー」みたいなものが普及している文化こそが*11アメリカなんですけどねえ。宝塚歌劇団は、そうした文化的・社会的背景のコンテクストありきの文明批評としてみるのが一番面白いとも思えてしまいました。(それはハイコンテキストな現代美術を見て楽しむときの悦楽と、とても似ています。)

そうそう、ファン同士のつながり感もすごくて、日本の演劇シーンではほとんど見たことのない、その場でしりあって友達になっている感じのグループがすごくいました。ニューヨークへの旅行者同士という事情もあるのかな。でも、アメリカだと、わりとすぐそういう初対面で盛り上がって友達になってるような風景を見ますが、日本の文化にしては珍しいなあと思っていました。日本のコンサート会場にいると聞く、リーダー格の人たちは見つかりませんでしたが、さすがにここまではグループツアーなどは催されなかったのかな。

*1:しかもリンカーンセンターってまさにブロードウェイ沿い!

*2:なかにはブラジルで富豪と結婚して引退している方もいる。http://ameblo.jp/saki-asaji/

*3:実際、本気で泣いている人たちがたくさんおられて、噂に聞く宝塚のスター性を目の当たりにしました。

*4:例えば宝塚歌劇で日本に普及させた『エリザベート』は、オーストリアの古典で、ハプスブルク家・帝国の没落を象徴として描く人間ドラマの改変版。

*5:フランス語で古いスタイルの歌と踊りのショー。宝塚歌劇が、戦後に立て直された時にTakarazuka Revueと英訳されたそうです。

*6:ショートバージョンにして「特別に持ってきました」と紹介されていましたが。

*7:各回キャストが変わるが、ここでは全キャストが出てきてお披露目します。

*8:そしてその「元ネタ」は欧米の音楽・カルチャーの翻案です。

*9:意味がない愚かなことをしている例え。石炭取れる地方に石炭売るな、と。

*10:まあ相補するジャニーズ文化ほどではありませんが、大衆文化と言えるほどの人気はありますよね。

*11:ラーメンバーガーなるものもあります。http://www.ramenburger.com/

少年が天国から還ってきたかどうかはどう決まるのか

当時六歳の少年が事故の際の臨死体験を綴った2010年のベストセラー『天国から還ってきた少年(The Boy Who Came Back From Heaven)』。著者が作り話であることを告白し、出版社が回収、書籍は絶版扱いに。とくにアメリカではクリスチャンのみを対象とした信仰に基づくコンテンツを提供する文化産業が盛んで、クリスチャン小説には「天国旅行(heavenly tourism)」というジャンルが存在する。この本を皮切りに、いくつもこのジャンルの「天国もの」が書かれちょっとしたブームとなった。

今回の騒動では、そもそも信仰という形而上的な領域の「真偽」が問題になっている点に注目すべきだと思う。「フィクション/ノンフィクション」の区別が可能なのか否か、誰がどうそれを決めているのか。クリスチャン小説を「事実」として受容する人たちの中での「ノンフィクション」と、クリスチャン小説は単なる「おとぎ話」として楽しんでいる人たちの中での「ノンフィクション」が意味が違うだろう。(これだけ売れたのだから、リベラルなクリスチャンも絶対買っているはず。もしくは「千の風になって」とか「オーラの泉」みたいに宗教的だけど俗流に単に誰も信仰気にせず消費しているのかも)クリスチャン系とリベラル系のメディアをざっと見渡してみたけどそういう点には触れていない(むしろろ、センシティブな領域に「立ち入っていない」のか?)。

成長して信仰心を深めた少年が、自身の著作が「聖書的でない」として批判され、著作と距離をおきたくなっていたよう。聖書原理主義的な立場ではその他の著作は「聖書的」かどうかで評価される。敬虔な母と、共著者だった(つまり利権者の)父が離婚したことなど家庭内の事情と、告白の関係もささやかれているよう。六歳の事故時、彼は聖書を読んだことがなかったと述べているが、クリスチャン的な臨死経験をし、今では聖書に傾倒している。家庭での教育が、原理主義のような強い信仰、イデオロギー形成には強く影響していることを痛感する。

[参考記事一覧]
‘Boy Who Came Back From Heaven’ actually didn’t; books recalled - The Washington Post
http://www.washingtonpost.com/blogs/style-blog/wp/2015/01/15/boy-who-came-back-from-heaven-going-back-to-publisher/

The boy who didn't come back from heaven: inside a bestseller's 'deception' | Books | The Guardian
http://www.theguardian.com/books/2015/jan/21/boy-who-came-back-from-heaven-alex-malarkey

What If Heaven Is Not For Real? : 13.7: Cosmos And Culture : NPR
http://www.npr.org/blogs/13.7/2015/01/20/378528953/what-if-heaven-is-not-for-real

Weekend Reading: Foie Gras and Farming, a False Tale of the Afterlife, and More - The New Yorker
http://www.newyorker.com/books/page-turner/weekend-reading-foie-gras-farming-false-tale-afterlife

The Boy Who Did Not Come Back From Heaven | Cindy Brandt
http://www.huffingtonpost.com/cindy-brandt/the-boy-who-did-not-come-_b_6552224.html

Did Evangelicals Keep This Boy From Going To Heaven? - The Daily Beast
http://www.thedailybeast.com/articles/2015/01/25/did-evangelicals-keep-this-boy-from-going-to-heaven.html

Boy who wrote book about visiting heaven says: ‘I didn’t’ - Features | The Star Online
http://www.thestar.com.my/Lifestyle/Features/2015/01/27/Boy-who-wrote-book-about-going-to-heaven-says-I-didnt/

天国に行ったことがあると主張した男の子、聖書を読み物語を撤回 キリスト教書店が店舗から本を撤去 : 国際 : クリスチャントゥデイ
http://www.christiantoday.co.jp/articles/15144/20150125/boy-who-came-back-from-heaven.htm

構え銃…打て!/お気軽に撮影を Point and Shoot

目の前で現実に起こっていることの悲惨さと、それがどうしようもなくキッチュなものとして現れている居心地の悪さ。その意味で『アクト・オブ・キリング』以来の傑作ドキュメンタリーだと思う。マーシャル・カリー監督*1、2014年。@フィラデルフィアフィルムフェスティバルにて。ドキュメンタリー部門にノミネート。

アメリカはバルチモアで生まれた、普通の(というかいわゆるナードな)若者マシュー・ヴァンダイク。自分の凡庸さにあきあきした彼は「男として特訓(crash course in manhood)」することを決意し、バイクとビデオカメラを購入し、一人アフリカへ旅立つ。チュニジアからアフリカ大陸に入り、スペインやイタリアにも渡りながら北アフリカを横断、最終的には中東に至る。行く先々で、車にはねられた、銃を購入しただ、トイレが汚いだなんだとちょっと(かなり?)危険な「異文化体験」に勤しみ、それをヘルメットにとりつけたビデオカメラで記録。おまけに後で映画にできるようかっこつけた自分のバイク姿をいちいち何テイクもセルフィー(いわゆる「自撮り」)して撮っている。行く国ごとに、アメリカに置いてきた彼女にスカイプで報告してポストカーディングを楽しむ。旅立ちの決意は、学生時代に見たハリウッド映画の古典『アラビアのロレンス』と、子供時代の憧れ、70sのオーストラリアで流行った白人によるキッチュな探検活劇。アフリカだ中東だと思いついたら大学院修士課程まで行って中東学を学んでみたりと、とにかくヨコシマで軽いくせにやることがでかい。驚きの飛躍。おまけに中学時代からことあるごとに手を洗ってしまうような潔癖性だったり、ナードすぎて高校時代には友達がいなくて戦争オンラインゲームに没頭する日々を送っていたり、彼の人生、常に何かがからまわってたりする。から回っているからこそ、「男らしく特訓」したかった。

映画は、監督による彼と彼の彼女へのインタビューで進む。2011年秋に彼の「特訓」は終わっていると後に判明するのだが、彼や彼女の自宅でカメラが回されているらしいインタビュー映像の背景には、綺麗に整頓された棚上の酒瓶(バーかと思うような数。笑)やフーカ(水タバコ)や革命本など、ヒッピーかつ消費文化的なアイテムが並ぶ。

彼の「特訓」は一度目の旅から戻ってすぐ再会される。母や彼女が最愛の人に出会えたのも束の間、彼は、2010年初めのいわゆるジャスミン革命に引き続き「アラブの春」が吹き荒れて反政府デモの最中にあるリビアに向かう。反ガダフィ政権の内乱となるいわゆる「2月17日革命」である。先の一度目の旅のなかで友人になったのは、憧れの人だった伝説のヒッピー、ノリ・フーナス(Nuri Funas)だった。彼に会い、戦争に合流するためだ。アラブの春、エジプト、チュニジア、そして次はリビアに内乱/革命が勃発するというタイミング。彼女が怒り狂っているのも当然だ。母親は、カワイイ息子を送るために車を運転してあげている。

フーナスに合流し、彼らは親友から戦友に変わる。闇市場でミサイルやマシンガンを購入して武装する。ゲリラ戦に突入する。フーナスの笑顔やジョーク、屈託のないコメントが皮肉のように響く。そして第一の事件は起こる。ヴァンダイクが拘留されるのだ。カメラは没収され拷問され、ゴキブリだらけの独房に閉じ込められる。映像が残っていないため、CG映像に切り替わり彼のモノローグは続く。天井の穴からのわずかな光と壁に刻み続けた印でなんとか日付を記憶していた。5ヶ月半後、なんとか解放されるや否や、彼は嬉しそうに革命軍に再び参加する。

フーナスらとゲリラ戦を続けながら、自分たちと戦況を撮影し続ける(そう、「自分たち」と「戦況」が彼の見ているもの)。銃とカメラ、両方を「シューティング」している。各先々では、一般市民がスマートフォンなどのモバイルを使って戦況をリアルタイムに報告する。ご承知のとおり、チュニジアから起こったアラブの春では、モバイル機器での一億総メディア状態が革命の鍵になったと言われている。グループが「最後の晩餐」(とおちゃらけて話している)を上げている。ヴァンダイクはアメリカから来てるけどアンタは報道陣なのかと問われ、「革命軍(thuwar=revolutionaries)だよ*2」と答える。彼にとって、そしてスマホで撮影をしている人々にとっては、報道のための報道という意識ではない。革命のための撮影=報道。しかしヴァンダイクには、その土地に生きてきた人々が思う「我々」のための革命のではない。彼にとっては、自身の特訓のためであり、ヒッピー的な世界全体のための革命だ。ちなみにタイトルのPoint and Shootとは、一眼レフなどでない一般向けのカメラ、いわゆる「コンパクトカメラ」のこと。「誰でも撮影者」という世界が生まれるきっかけになったカメラである。もちろん、銃を構えて(point)、撃つ(shoot)ということでもある。

第二の事件は、前者の方の「シューティング」だった。監督に人を打ったことは?と聞かれてヴァンダイクは口ごもる。ゲリラ戦で、建物内から別の建物の窓から顔を出す「敵」を射撃したときの様子が流れる。仲間たちが親切にも(苦笑)彼の初シューティングを記録してくれている。生々しい実際の映像にかぶせて、インタビューに答えるヴァンダイクの言葉。彼が打った銃弾が外れる———いきなりサウンドが完璧にカットされ、ヴァンダイクの子供時代のホームビデオの映像に切り替わるという意地の悪さ。追いつめるように、監督はわざと外したのかと確認するが、彼は、決して、わざとでは、ない、と自分を納得させるように答える。

最後のシークエンスで彼に「男らしくなる特訓」は成功したかと監督が尋ねる。ものすごく力弱く、「ええ」と答える。男らしくなく、曖昧さを残したまま…。

あ、最後の最後のシークエンスは、感動したお客さんの拍手喝采とエンドロールの後だった。ジープに乗ったフーナスが、後ろのラクダの群れと自分を、撮ってよ撮ってよ〜と無邪気に頼んでいる。しつこく、いいの撮れた?撮れた?って言ってるのが微笑ましく笑いを誘いながらも皮肉に響いていた。

Marshall Curry. Point and Shoot (2014) @Philadelphia Film Festival
http://www.pointandshootfilm.com/

*1:監督のMarshall Curryは選挙キャンペーン(Street Fight, 2005)と環境問題テロリズム(If a Tree Falls, 2011)で二度のアカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネートされている。

*2:thuwarとはフォーマルなアラビア語で革命軍revolutionariesを意味する言葉。反乱軍=rebelとも訳せるが、「アジテーションする」という意味を語源とするrebelよりは、「革命」を語源とするほうが近い肯定的な語感を持つという。http://www.thewire.com/global/2011/07/how-libyan-rebels-came-be-called-rebels-against-their-will/39738/

「デジタル」を説明する難しさ

“「デジタル」(によるビジネス)を同僚に説明する”という体で作られたビジネスモデル紹介スライド。Slideshareより。

デジタルが人や業界それぞれによって違うよねといわれてもピンと来ないくらいデジタルを使う業界で仕事したことがないので、「デジタル」という言葉がどう使われているのかを理解する勉強にもなっておもしろかった。途中、Black Fridayの消費停滞を乗りきるためのAmerican ExpressのプロジェクトSmall Business Saturdayが紹介されていた。地域のローカルビジネスが、実店舗での情報網、販促から始まり、メールや壁紙のQRコード広告がウェブサイトにリンクされ、そしてオンラインの全米規模コミュニティにつながる。ウェブサイトでのfoursquareYoutubeTwitterfacebookからAmex公式サイトが提供する各ビジネスのウェブサイト作成のページまで、ローコスト、自発的かつコンパクトに情報が波及していく。

http://www.slideshare.net/gregfromparis/the-ultimate-guide-to-explain-digital-to-your-colleagues-v3?

2010年夏に岡山で開催した、滞在可能なアートスペースのプロジェクト「かじこ」ドキュメントブックの販促の参考になった。

Wordpressに移行しました。

Wordpressに移行しました。

今までposterousを利用していましたが、2013年4月30日のサービス終了にともないWordpressのブログに移行しました。フィールドワークごとに備忘録用にブログを残していましたが、「アメリカとそのほかのミュージアムのレビュー」をテーマにひとつのブログにまとめておくことにします。ひとまず、2011年10月-11月のポストをアーカイヴしています。

※追記2020/4/30:さらにはてなブログに記事を移行させました。

「10年遅れた日本のアート界」の象徴としての丸木位里「原爆の図」

「10年遅れた日本のアート界」の象徴としての丸木位里「原爆の図」:Chim↑Pomキュレーション「ひっくるかえる」展@ワタリウム美術館


http://www.watarium.co.jp/exhibition/index.html

例の岡本太郎明日の神話」への「加筆」事件で有名になったChim↑Pomキュレーションによるアートアクティヴィズム的表現の展覧会。ロシアやフランスなど海外勢も加えつつ、他の作家はすべて現在の作家であったが、象徴的に丸木位里・俊の「原爆の図」の1955年当時の展示風景の編集フィルム、そして巻物の作品の入っていた「箱」が展覧会の入り口に象徴的に設置されている。

アートが政治的な有効性をなくしたと言われて久しい状況で、社会への「介入」を試みている現代のアートアクティヴィストたちに類する社会的影響力を持った過去の作家は「原爆の図」という語りである。「日本のアートは10年おくれている(そして世界のアートは7〜8年おくれている)」と挑発する彼ららしい。こうしたテーマだからこそ、社会からの反応が同時に解説されていると、「アート」それ自体が立体的に見えてよかったのではないだろうか。