アノニマスと仮装と変装

ウェブサイト攻撃や「祭り」による問題の顕在化などオンライン上で反権力的な行動をとるハクティヴィズム(=ハッキング+アクティヴィズム)集団アノニマスによる渋谷の清掃運動が行われた。今回の行動は、直接には6月に可決された「違法ダウンロード刑罰化」に対する行動だった。先に彼らは自民党財務省日本音楽著作権協会JASRAC)の公式ウェブサイトをダウンさせていたのも記憶に新しいし、むろんジャスミン革命におけるチュニジア政府への攻撃、情報統制・検閲に抗議してエジプト政府やムバラク大統領の公式ウェブサイトのサーバをダウンさせたことが世界的にその名を知られるようになったきっかけだろう。
http://www.asahi.com/national/update/0707/TKY201207070134.html
http://portirland.blogspot.jp/2012/07/blog-post_8625.html


お行儀よく整列

しかし今回の行動につきぬけるものを感じなかった。赤瀬川原平たちによる東京ミキサー計画は、東京オリンピックなどによる東京のジェントリフィケーションに対して、銀座の街を過剰に「清掃」することで当てこすったのだけれど、アノニマスの清掃には何かアイロニーが含まれているのだろうか。仮面の黒スーツ集団が渋谷で清掃している奇妙な可笑しみはあるにせよ、あまり批評性のある面白さを感じないのは僕だけか。

天気も好いので、今日は麦藁帽子に半ズボンにしよう、そしてもちろん、アノニマスのマスクも忘れずに。
※国立のデモは仮装・変身デモです。ちいさな街だと、ご近所や親類縁者、知りあいの目があって、なんとなく照れくさい、とか、ちょっと気おくれする、という声から、このローカルな仮装・変身デモがはじまりました。
イルコモンズのふた(7月8日のエントリー)
http://illcomm.exblog.jp/16272810/

イルコモンズさんのエントリーから連想したけど、仮装することが匿名性を生み、別のものになりきってキャラクターを演じきると同時に、「日常(=ケ)」の個人的な関係性・しがらみから開放されて「非日常(=ハレ)」のなかに飛び込んで開放される効果があるのだろうか。くにたちのデモが仮装しているのは、ご近所さんの目が気になる人もいるからということらしい。
http://nonukes-kunitachi.blogspot.jp/

ハイレッドセンターによる東京ミキサー計画の「首都圏清掃整理促進運動」は、全身白衣で匿名性を表現している一方で、「ハイ=「高」松次郎/レッド=「赤」瀬川原平/センター=「中」西夏之」という表現者の名を冠していたように明確な主体性をもった活動だった。

アノニマスは、その名前からしても、オンライン上で個人を特定させない活動の形態からしても、(一部にはアメリカ西海岸発と言われるものの)特定の「中心地」が不在であることも、国籍・言語では(大飯原発再稼働への抗議行動で「霞ヶ浦」と「霞が関」を間違えていたことなど偏りは見られるが)基本的にはトランスナショナルな運動であるとされることも、実質的なメンバーが確定せず匿名的であることを活動の条件や旨としている集団だ。アノニマスメンバーと支援者を併せて70名ということだが、「支援者」の部分が目に見えて肥大化していくような、主体性が不在であることを強調する方法であればより効果的だったのではないだろうか。「ああ、ここにもいた」「意外にすぐそこにいる」という恐怖にも似た感覚がご近所感覚に変わった時に、人々の意識が変わるような気がするから。

女性の姿も。白衣じゃなくスーツだとジェンダー化されるなあ。