よく知る風景を「見知らぬもの」にする事と気まずさの美学:『もう終わりにしよう I’m Thinking of Ending Things』(チャーリー・カウフマン Netflix、2020)

 

Netflixの『もう終わりにしよう I’m Thinking of Ending Things』を観た。今年のベスト級に良かった。

 

シンプルなようでつかみどころのないプロットから、キーワードを列挙してみる。実家と帰省。家族の価値観との違和。ドライブ。昔通った学校。甘すぎるアイスクリームとその店員。

 

これらは幻想ではなく、拡張された現実である。見知ったものを見知らぬものにすること。違和感によって世界を組み替えること。異化作用。言葉の正確な意味でのシュルレエル=超現実的である。

 

主体=客体、人格、時空それらを超えた再編集。画面に映し出されたイメージを通じてそれを体験する快楽。タイムトラベル(スリップ?)もののようにも見える。主体が何かを認知することの不確かさそれ自体が、物語上の主題になっていて、「どう見るか」それ自体も宙ぶらりんとなる。

 

 

エンドロールでは、夜が明けて学校に駐車した車に雪が積もっている。カメラの焦点は、強くブレた状態で固定されている。クレジットの情報のみが鮮明に読める。最後の最後になって、ようやくイメージの焦点が戻る。今「見えている」という事実は、見えない状態を通過した後で不安定なまま残される。

 

実家から帰宅するドライブの途中、ジェイクが発した「兆候(sign)」という言葉をルーシーが「事(thing)」だと正確を期す会話がある。「終わりつつある事について考えること/終わらせようと思うこと(thinking of ending things)」は、画面のように「事」を終わりの存在は信頼できない。

 

また、エンドロール直前、老人となったジェイクが「全てを受け入れた」という受賞式のシーン。あらゆる人物の年老いた姿は、陳腐なコスプレメイクのように見える。プロポーズから結婚式まで若き日の記憶を回想したであろう高校でのダンスシーンでは、カップルの二人は「理想的な」プロポーションの美男美女。ダンスもキレキレで音楽もそれにピッタリ同期して、いわば出来すぎている。終わりは陳腐な演劇のようであり、記憶は過度に美化される運命にあるかのようだ。

 

演劇、メタフィクション、文学的テキストの引用、映画や小説の参照、30年代風のCMカートゥーン(ベティ・ザ・ブーブのよう)、実写と合成するアニメ(ジョー・ダンテルーニー・チューンズ:バックインタイム』的)…。表現様式にかなり多くの要素が混在する。にもかかわらず、あまり違和感を覚えない。原作小説にも忠実につくられたようであるが、会話劇を柱としているからだろうか。

 

途中アニメのシーンでは浅野いにおの『おやすみプンプン』を思い出した。作者は「マンガ」という表現様式の実験を重ねた結果、画面の記号を使って鑑賞者が物語へ没入することを操作している。前半、羊の死体が放置され、ウジの沸いた豚の血が染み出したものを見せられ、その豚であろうかと思しき足の丸焼きが食卓に上る。後半では、やや肥満で全身が弛緩した中年男性が全裸で歩き、その性器を隠す形でブタがよちよち歩く。

 

 

気まずさの美学。観ていて不快になるギリギリのラインで居心地の悪い会話劇。これを楽しむブラックユーモア的な喜劇。ジェイク役のジェシー・プレモンスが素晴らしい。

 

ドライブ中。溶け始めたアイスのカップがベタつくからどこかで捨てたい、などと会話の端々の意味不明なところでイラつき始めて、いきなりよくわからないタイミングでキレ出す。明らかに価値観が合わない両親と帰省した主人公たちカップルの会話。実家で食卓を囲んで一見楽しそうに話しているが、ルーシーが小出しにエピソードを出し(自分の話にノリ始めてスイッチが入って狂ったほど楽しそうになる)、それを聞いた両親がいつ不機嫌になるだろうか…と観客はハラハラする。それを聞いているジェイクは終始俯き、見るからにイラついている。

 

しかし、これらは単に意味不明ではないところが心地よいし、怖い。車内のカップのベタつきが妙に気になって仕方ない、付き合っている人が自分の親に何を話すかハラハラする。これらは誰しも感じたことがあるような感情だ。強く共感してしまうため、通常人が表に出さない不安定な行動にでる登場人物が「私たち」かのごとく見えて怖い。その一方で、ちょっとしたタブーを犯してくれているようで気持ちいいのだ。映画が描く、殺人や破壊、侵犯などにも似ている。

 

他の監督の例で言えば、コーエン兄弟山下敦弘とかのアレ。プレモンスは『ブレイキング・バッド』やNetflixドラマ版『FARGO/ファーゴ』(”Okay, then”のやつ)でも気まずさの美学を遺憾なく発揮してくれて好きだ。本作は、ドラマ版ファーゴの出演者も多い。

 

クリスマスイブに半分、クリスマスの朝にかけて観た。

冬の朝ひんやりした空気に気持ちいい。