想田和弘の観察映画「以外」を短くレビュー/「日常を「観察」する映画作家・想田和弘の仕事」11/14~11/23 東京・シネマハウス大塚

想田和弘監督作品のレトロスペクティヴが、今日からシネマハウス大塚で開催されます。DVD化や配信されていない『牡蠣工場』をはじめとして、スクリーンで一挙上映される非常に貴重な機会となりそうです。

想田監督は、先行する「ダイレクトシネマ」などの言葉が持っていた一種の「古めかしい」印象を払拭するために「観察映画」という用語を作り、独自の定義と「十戒」に基づいて制作を続けていることで知られています。(監督自身の著作のほか、シーラ・ガーラン・バーナード『ドキュメンタリー・ストーリーテリング増補改訂版』2020、フィルムアート社での監督へのインタビューなども参考)

本稿では今回の上映に合わせて、観察映画「以外」の短編群について短くレビューしていたものを公開します。

 

 

『ニューヨークの夜』 1995年|10分

劇映画だとだけ聞いて観たのだけど、まさかのコント風コメディで衝撃を受けた。人種民族・階層に対して与えられるステレオタイプを風刺したもの。製作されたのはWindows95発売年であるが、インターネット普及前夜の日本では、これは風刺ではなく「ニューヨークってこんな多様性のある街」と受け取られたりもしたのかも?などとも妄想した。サイケでオシャレでもある。なんとなく小劇場演劇っぽいムード。

 

『花と女』 1995年|5分

これもまた劇映画。エロスである。切なさもある。何気ない日常に狂気を見出す。タイトルは「花”と”女」だが、最後のオチで自分が観ていた焦点がズラされるのが心地よい。サイケデリックと観察映画をつなぐ線ともとれる作品。

 

『The Flicker 1997年|17分

カメラマンを主人公にして、「世界を撮影して記録すること」を主題にしている劇作。タイトルのflickerという言葉には「映画」という意味がある。後にドキュメンタリーを主軸とする監督が、撮影倫理や、映像による記憶の虚構性をこの時期に描いていたことは特筆すべきである。コミカルさも残した小品は、映画を撮影する者ーー登場人物であり監督/カメラマンーーに対して、「反復は虚構にすぎない」と突きつける被写体のカメラ目線のカットで終わる。

 

『The Laboratory of Dr. X』 2003年|18分

狭いスタジオで即興的に絡み合うダンスとギター。ピエロ的な装いやマイムなど、アメリカの街中でよく見かけるストリートパフォーマンスのよう。ダンサーは監督の公私のパートナーである柏木規与子さん。

 

Home(想田和弘による311秒の短編』2011年|3分11秒

河瀬直美監督のコミッションによって2011年に製作された。”A Sence of Home(ホームの感覚)”をテーマに撮られた3分11秒の短編集の一編である。動植物たちに接写した映像、人間=ヒトが生活する雑多な音から「或る日本の農村部の風景」が立ち上がる。「個」へのミクロなクローズから「世界」を映す。この順序が重要だと感じた。終わりに聞こえる「ただいま=I’m home」の声は口から溢れるような発話だが、何かしらの「宣言」のようにも響く。

 

以下の二作も今回の上映作。極めてプレーンなダンスの記録映像。

『サイドウォーク・ソナタ』 1996年|8分

『「プライマリー・ステップス」からのソロ』 1996年|2分

 

今回の上映作ではないが、監督がNHK用に製作したこれも観たことがある。アートによるジェントリフィケーションとその現場での軋轢を扱ったものだったと記憶している。

『真冬の111番地』 2005年 |20分

 

その他公式ウェブサイトで観察映画以外の製作リストを観ていたら、 NHKのドキュメンタリーシリーズ「NewYorkers」でインタビューした中に、硬派で良質の独立系報道番組「Democracy Now!」のキャスターで知られるジャーナリストAmy Goodmanの名前が! これはいつか観てみたい。

www.kazuhirosoda.com

www.democracynow.org

 

観察映画の作品は『選挙』でファンになって以来欠かさず観てきた。月並みな感想だが、その源流が見られたことはとても興味深かった。初期の劇作は習作のようなものとみるべきかもしれないが、「ドキュメンタリー」とは異なる枠組みで「映画」というジャンルや様式について非常に自省的に考えている痕跡が見えたことが大きな発見だった。

その鋭い筆致で社会評論やSNSで影響力を持つ言論人としても知られる想田監督であるが、様々な発信のチャンネルやメディアの特性を理解し、常に方法について自覚的に表現しているのではないか。多彩なジャンルで表現を試作したような作品群を観る機会を得て、そんなことを感じた。

今回はミニシアター・エイドの企画でこれらを観ることができた。(以前書いた、エイド基金、仮設の映画館についての記事と、『精神0』の感想も貼りつけておきます。)劇場でのレトロスペクティヴの方は昨年からのコロナ禍で二回連続でキャンセルになってしまったが、今月のレトロスペクティヴは三度目の正直となりそうでとてもメデタイ。

 

phoiming.hatenadiary.org

phoiming.hatenadiary.org

phoiming.hatenadiary.org