[1106] Art by Man, Art by God: Museum of Contemporary Art, Miami, Art By God

朝起きると、改めて窓からの眺めに感激。溜息が出るとはこのことだ。奮発して眺めがいい部屋にしちゃったけど、+10ドルの価値はあったなあ。
延泊の手続きを済ますと眺めの悪い部屋のフィーでオッケーだった。ラッキー。

シャワー代わりにビーチで泳ぐことにする。こんなに青い、こんなに綺麗なビーチで泳いだのは生まれて初めてだけど気分がいいなあ。
ゲートくぐった途端に係員に部屋番号聞かれたりする。ガラス類は持ち込み禁止、紙カップはOKのはずだけどゴミひとつ落ちてない。
思いっきり管理されてるからだなあ。そりゃ気持ちいいわなあ。

と、お約束のことをひとしきり考えたりもしつつ、可愛すぎる鳥たちにキュンキュンしたりしながらひとりでなんとかはしゃぐ。
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興奮した割にまあ早々に部屋に戻ってちゃんと仕事を始める。ちょっと心地よすぎるオフィスである。

昨日はほぼ移動で潰れたようなもんなので、リスケジュールをして明日の調査の電話などする。日曜日で閉まっていた。昨日も一日中つながらず。大丈夫かと心配になる。
今日は〆切り間際の最後のホテル暮らしなので、なんとかデスクワークを終えたい。近場でいけるところが一件あるので閉館時間に間に合えば御の字。

●Museum of Contemporary Art, Miami
改稿作業の半分をなんとか終えて、滑り込みでMuseum of Contemporary Art, Miamiへ。市庁舎の建物にくっついている小さな現代美術館。内容はどうでも、現代美術館が役所にくっついてるなんて日本では考えられないな。アメリカでいろいろ美術館を見てきて思うのは、「現代美術」というある種のわからんちんなものへの嫌悪感のようなものが非常に薄いということ(もちろんあるけど)。アートってのは、人の評価とか情報じゃなくて自分の眼で見て経験的に判断しようね、という慣習の違いからくるのではないかと思う。あと私立ミュージアムが極めて多い国だから、個人の信念に基づいて「おれはこれが好き!」って感じで集めているコレクターがたくさん現代美術館を開いている感じもある。(とはいえその 「信念」がどうやって構成されているのかについては、ソーントンのコレを参照ね)
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さて、ギャラリーは広い横長の一室と受付・ショップ脇に5㎡くらいのもの。Modify as Neededというグループ展が開かれていた。
作品は新作ばかり、特にマイアミローカルの作家ではない。それぞれ質は悪くない。各作家の評論はいいとして、なんかメモしたキーワードを一応挙げると、シミュレーショニズム、トランスフォーム、デペイズマン、身体性を想像する(imagining the body)、境界を仮説的に構成する、フレーム枠の転倒、コミュニケーションの(笑いによる)倒錯・・・うーん、なんかこんな感じっす(笑)。

なんだか最近、確か前回の三ヶ月ほどのアメリカ調査旅行の最中だったと思うけど、現代美術館にあまり興奮しなくなっている自分に気がついた。もちろん、それぞれめちゃくちゃ面白いんだけど、なんというか「驚き」がない。作家には失礼な話なんだけど、展覧会というフィルターを通せば通すほど、上に挙げたようなキュレータによる一つの見方に限定して提示されてしまう。それは一般にはうまいキュレーションであればあるほどそうというのも皮肉なもんだ。余りにわかりやすいキュレーションであると同時に、作品が固有に持っている「魔術」のようなものを残存させる、そういう駆け引きができることが「本当にうまいキュレーション」だという気がしてくる。
「答え」がわかることとか、そういうのに飽きてるんだろうな。企画とか考えて観てるから、一種の職業病かなあ。研究者とかキュレータとか職業人としてはともかく、人としてよくない気がして(笑)恐れを抱く。あ、アートもほんとに素敵だと思うんだけどね。

●Art By God
帰りがけArt By Godという店を偶然発見する。もちろんすぐさま立ち寄るが、なんと全然創造説と関係ない自然科学系のお土産屋さんだった(!)。なんて紛らわしい。なんと仏像やギリシャ・ローマ彫像からネイティヴ・アメリカンの彫刻まで なんかよくわからんほどの「宗教的多様性」だからその辺をつっこんで質問してみる。なんで店はこういう名前なの?って訊くと「シンプルなのよ、神を信じてるでしょ、神が全部作ったでしょ、だからそう。」僕は仏教と神道信じてるんだけど、っていうと、キリスト教の神はあまねく神じゃなくて一人だから全部神が作ったことになるの、とな。まあこんなやりとり。でもまさか創造論者じゃないとは思わなかった。逆にどういう意図なのか気になる。創造論について聞くタイミングは逃す。
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帰りはマイアミ・ビーチのヒストリックディストリクトを通って軽く街を見学して帰る。車に積んであった、例のキリスト教テーマパークで買ったお土産の創造説歴史観のポスターを持ってホテルへと入り、ちょっと荷物をフロントに預けると、珍しく白人のおねいさんが(ここの店員さんたちはほとんどスパニッシュネイティヴの有色系)荷物を見てすごいニコニコしている。ピックアップのときも、何故だか親切すぎる感じで、やっぱりニコニコしている。僕が後ろを向くと隣の人が"What's up?"って小さな声で囁いてた。たぶん彼女は、「彼は神が地球を創ったって本気で信じてんのよ」って話してんだろうな。創造論者たちに「他者」が接するときの、なんというか、憐れむような感じを味わう。僕個人は、もちろん自身のことじゃないので傷つきはしないけど、なんというか、人種問題などに近いすごい大きな問題だということを実感した。ある友達は日本のいじめを見て、「日本以外の国には、あんな日本みたいな陰湿ないじめがないよね。」って言ってたけど、見て見ぬふりの隠された暴力ってこういう感じだよね。

もう一度改稿作業。日本で改稿作業を手伝ってくれている友達たちを少し待ち、もう今日は休む。食事に行こう。