大島新 監督『なぜ君は総理大臣になれないのか』(2020年)をポレポレ東中野で観た。
自分が教える大学の講義の話になるが、折に触れ、「楽しい政治」をキーワードに選挙楽しむ方法について学生にいろいろ提案してみたりしている。都知事選の前に本作を観て、面白かったらぜひ授業でも紹介したいと思い、急ぎ観に来た。
非常に「楽しい映画」だった。現場の人々の生々しい声を通して、選挙候補者が掲げる理念とその実現を阻む選挙制度という矛盾が伝わってくる。観客はシーンを楽しんでいるうちに、政治の仕組みについて自然と考えることになる。このような作りの映画になっている。選挙制度などに詳しい方がより楽しめるとは思うが、知識の有無はそれほど間口を狭めていないと思った。*1
観た人は、党派型の政党政治の機能障害を実感できる。日本型の政党政治の課題である「縁故主義」が伝わってくる。*2トランプ政権をはじめとして現在世界中で見られる、ポピュリズムの台頭の理由の1つはそこにある。
縁故主義の落とし穴が批判されるが、しかし、極めて真面目で愚直で誠実な野党議員という被写体を通じてそれが描かれるので、観客は「しょうがないところあるよなあ」と「共感」してしまう。ここがミソだと思った。小川議員の悩みは、観客の悩みとなる。
改めて怖いなと感じたのは、議員が家族一丸となって選挙活動に臨んでいること。文字通り、家族が人生をかけていること。足かけ17年という長い歳月が描かれるので、彼らの成長や老いが克明に記録されていて、過ぎた時間のことを考えると背筋が凍った。
議員を目指す家長がいる家庭に生まれると、家族の人生に翻弄される。その一方で、保守的で小さな共同体では、「家族の不和」という物語は政治家の重荷となるだろう。*3つまり、「家計」や「家系」のみならず、「家族関係」に恵まれない人もまた、国民の代表になりにくいということになるのではないか。
もちろん、小川さんのご家族が幸せであるのなら何も問題はない。個別事例の是非を問いたいということではなく、選挙戦術と「家族」像の関係が結びついていることを懸念しているのである。ドキュメンタリー映画を公開するというのは、被写体を批評の俎上に上げる責任を伴う行為でもある。*4
#大島新 #なぜ君は総理大臣になれないのか